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ルーク・ドナルド バイオグラフィー/英国で育ち米国へ渡った“ハーフ・スコティッシュ”

1977年12月7日、イングランドのハートフォージャー州ヘメール・ヘンプステッドで生まれたルーク・ドナルド。スコットランド南西部ストランラー出身の父とイングランド出身の母の3人兄弟の末っ子としてロンドン郊外のハイウィコムで育った。

少年時代に長男のクリスとゴルフを始めたルークは「普通の家庭でね。両親は僕らに『練習しろ!』なんて言ったことは無かった」と当時を振り返る。父もゴルフは“たしなむ”程度で、母は主婦業に専念。ただしルークが生まれる前に他界した祖父は生前、スクラッチゴルファーだったといい「彼からたくさんの遺伝子をもらったのかな」と話している。

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やはりロンドン近郊のヘイズルメアGC、ビーコンズフィールドGCなどでゴルフに打ち込む中、やがて兄クリスがルークのキャディを務めるようになる。最初に優勝したのは15歳のとき。ビーコンズフィールドで行われた大会だった。(ちなみにクリスはルークのプロ転向後、弟のバッグを担いだのはもちろん、その後はポール・ケーシー、マーティン・カイマーらのキャディも勤めている)。

注目のアマチュアゴルファーとしてめきめきと頭角を現してきたルークは、高校を卒業後、スポーツ奨学制度を利用して米国へと渡る。数々のオファーを出した大学の中には、タイガー・ウッズが在籍したスタンフォード大もあった。しかしルークも同大の入学を希望していたが、大学側の手続きの不備などによって、結局シカゴにあるノースウェスタン大へ進学。ところがパット・ゴス氏の指導を受けた彼は、1999年に大学ナンバーワンを決める「NCAAチャンピオンシップ」で、96年にタイガーが樹立した最少平均ストロークを更新する強さを見せて優勝。その名を知らしめた。

鳴り物入りでプロ入り パワーゲーム時代を小技で突き進む

1999年、2001年に「ウォーカーカップ」の欧州選抜を牽引し、いずれも米国に勝利。すると01年末に米国PGAツアーのクオリファイスクールを23位タイで通過した。すると2002年、ルーキーイヤーの自身最後の試合「サザンファームビューロークラシック」(現在のバイキングクラシック)でツアー初勝利をマーク。初年度にいきなり100万ドルを稼いだ。

2004年には「オメガ・ヨーロピアン・マスターズ」で欧州ツアー初優勝、さらに「スカンジナビアン・マスターズ」で2勝目をマーク。そして「ライダーカップ」に初出場を果たし、ポール・ケーシーとコンビを組んだ「ワールドカップ」では母国を優勝に導いた。

身長175センチ、体重も73キロ(欧州ツアーの公式データ)。タイガー・ウッズがリードしたパワーゲームの時代の中で、彼のプレースタイルは異端といえた。当時から“飛ばし屋”の部類とは一線を画し、年間の米国ツアーにおける平均飛距離も2005年の全体135位(284.5ヤード)がこれまでの最高位。その一方でサンドセーブ率やパッティングの部門等では上位の常連だった。その卓越したショートゲームを武器に2006年「ホンダ・クラシック」を勝つと、世界ランキングで初めてトップ10入りを果たした。

そんな将来を嘱望された男は2007年6月、大学時代からの旧友だったダイアンさんと結婚。シカゴ近郊のノースフィールドに自宅を構えている。ゴルフファンの間ではもうお馴染みだが、大学時代は芸術理論を専攻し、その絵画の腕はプロ並という定評もある。自身が描いた油絵がツアーのチャリティオークションで落札されたほど。絵画収集は趣味の一つで、フロリダや母国イギリスにある自宅にも多く掲げられている。

故障と不調 家族との絆を力に変えて歴史的快挙へ

2004、06年とワールドカップ代表、そして「ライダーカップ」の代表入りも果たしたルーク。ところがその後は、なかなか勝利に手が届かない年月が流れた。2008年には「全米オープン」で手首を負傷し、夏場に手術に踏み切る。後半戦を棒に振り、1年間でプレーできた公式戦は米国、欧州合わせて14試合にとどまった。

しかし怪我から復帰した09年、「全英オープン」で5位に入るなど、年間でトップ10入り6回と徐々に復活への道を歩み始める。そして翌10年2月に長女エルちゃんが誕生したことが大きな転機となった。父になった直後の5月、欧州ツアー「マドリッドマスターズ」でリース・デービースを1打差で振り切り7年ぶりの勝利。年度末には4年ぶりにライダーカップ代表にも復帰した。

そしてその才能はこの2011年、爆発的に開花した。2月の「WGCアクセンチュアマッチプレー選手権」で初のビッグタイトルを手にすると、5月に欧州ツアー「BMW選手権」を制し、ついに世界ランク1位に上り詰める。イングランド勢では、ニック・ファルドリー・ウェストウッドに続く史上3人目の快挙だった。

シーズンはじめの「ノーザントラスオープン」で予選落ちを喫したのを最後に、「WGCアクセンチュアマッチプレー」から6月はじめの「ザ・メモリアルトーナメント」まで、欧州ツアー2試合を含めて10試合連続でトップ10入りを果たす抜群の安定感を発揮。さらに7月「バークレイズスコットランドオープン」で3勝目をマークし世界1位の座を確固たるものにした。

そして10月の「チルドレンズ・ミラクル・ネットワーク・ホスピタルズクラシック」。最終日に5打差をひっくり返す大逆転優勝で初の米ツアー賞金王を戴冠。2つの最小ストローク賞(Vardon Trophy、Byron Nelson Award)を手にし、最優秀選手賞にも輝いた。ちなみにこの大会の3日目、ルークは14番(パー5)で3パットをたたきダブルボギーとしたが、この3パットは7月の「RBCカナディアンオープン」の第3ラウンド、8番ホール以来だった。米ツアーで、なんと483ホール連続で3パット以上を記録することが無かったのだ。

ロリー・マキロイの猛追を受けて最終戦までもつれ込んだ欧州ツアーの賞金王争いではなんとか逃げ切り、史上初の快挙を達成。「長女の誕生が、その後のプレーに大きく影響した」と家族との絆を強調してきたルークは、11月11日、次女のソフィアちゃんが誕生。その3日前には父・コリンさんが急死していた。深い悲しみと新たな喜びに包まれながら掴んだW賞金王の座。激動の一年を経てゴルフ界の主役となった男の次のターゲットはもちろん、まだ手にしていない4大メジャーのタイトルとなる。

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