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リスペクト ~~ルーク・ドナルド ダブル賞金王の逸話~~

暦が11月から12月に変わりかけたころでさえ、欧州紙はルーク・ドナルドをこんなふうに酷評していた。

「Still no respect.(彼は、いまだに尊敬されていない)」

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そのころドナルドは、すでに世界ランク1位の座を27週維持していた。今季米ツアーでは2月のWGCアクセンチュア・マッチプレー選手権を制し、シーズンエンドのチルドレンズ・ミラクル・ネットワーク・ホスピタルズ・クラシックには、その時点で賞金ランク1位に躍り出ていたウエブ・シンプソンから賞金王タイトルを奪回するために挑み、最終日の猛追で堂々の勝利を手に入れた。

今季米ツアーで年間2勝、通算4勝。最終戦の見事な優勝によって米ツアー賞金王の栄誉に輝き、PGAオブ・アメリカのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーにも輝き、欧州ツアー賞金王にも王手をかけていたというのに、それでも欧州紙が「ノー・リスペクト」と書いたワケは、「ドナルドはいまだにメジャー優勝を果たしていない」というものだった。そんな酷評記事に対して、ドナルドは怒ることもなく、静かに笑っていた。どうして微笑んでいられるのか。温厚な人柄だから?それは、ある。12月7日には34歳になる大人だから?それも、あった。だが、彼が激怒しなかった最大の理由は、ある意味、欧州紙の指摘が正しいと彼自身が感じていたからだろう。

世界中からリスペクトされるとは、どういう意味なのか?どうしたら、世界の誰もが「ドナルドこそが世界一」と認めてくれるのか?それは、彼がプロになったときから自問自答し続け、追いかけてきた究極のゴールなのだ。だから彼は、米ツアー賞金王の座に就いたときも、自分がゴールインしたとは思っていなかった。だから彼は、酷評記事をも静かに受け入れ、欧州ツアー賞金王をも目指して、さらに歩を進めていった。

追い続ける「1」

ドナルドと初めて1対1で向き合ったのは、彼が01年にプロ転向し、02年に米ツアーのサザンファーム・ビューロー・クラシックで初優勝を挙げた翌春だった。「かつて僕は『世界一のベストアマチュア』なんて呼ばれ、自分でもその通りだと信じていた。でも、プロになった今、そんな昔の称号は何の意味もない。僕はプロとして、世界一のベストプレーヤーになりたい」

プロデビュー早々から「ネクスト・タイガー」「アナザー・タイガー」と呼ばれたりはしたけれど、やっとのことで米ツアー2勝目を挙げたのは初優勝から4年後の06年ホンダクラシック。メジャー4大会では何度も勝利への扉を開きかけて敗れた。「ドナルドなら、もっと勝ってもおかしくないのに……」。そんな声が周囲から聞こえてくるたびに、彼は「僕もそう思う」と答えるしかなかった。

タイガー・ウッズ全盛期にデビューし、常に日陰の存在となってきたドナルドは、安定した実力者と見なされても、決して光り輝くビッグスターには成り切れず、それゆえに、どこか報われないイメージが付きまとった。最高の1年を迎えつつあった今秋でさえ、やっぱりドナルドは人生の巡り合わせがどこか悪いと思わされる出来事が続いた。米ツアー賞金王を「取りに行った」最終戦のチルドレンズ・クラシックは、レギュラーキャディの結婚式と重なり、ドナルドは臨時キャディを携えての不慣れな体制で大事な戦いに挑んだ。

これから欧州ツアー賞金王を「取りに行くぞ」と意気込み始めたタイミングは、愛妻が第2子の出産を控えており、WGC-HSBC選手権出場を断念。その矢先の11月7日、父親コリンが突然、この世を去り、その4日後に二女が誕生。ここぞという場面で試練を迎え、ダブル賞金王を狙う大事な時期に大きな悲しみと大きな喜びが重なったことは、ドナルドの運命であり宿命だったのかもしれない。が、それを人生の「皮肉」と受け取るか、「恵み」と受け取るか。そこに、ドナルドらしさが表れた。

「二女は11年11月11日の午前2時11分に生まれたんだ。世界ナンバー1であり続ける日々は僕にとって素晴らしい日々だけど、この日以上に素晴らしい日は、僕の人生にはない」

プロ入り以来、ドナルドが追いかけ続けてきた「1」という数字。けれど、世界ランク1位の「1」よりも、「1」ばかりが並んだ我が子の誕生のほうが素晴らしい。そう考えたドナルドは、プロゴルファーである前に、人間であり男であり、家庭の幸せを優先しながらプロゴルファーとしてのゴールを追いかけようとしていた。そんな彼は、勝手に付きまとう「報われないイメージ」とは正反対に、心の充足を得ながらクラブを握ることができるとても恵まれた選手なのだと思えてきた。

ダブル賞金王 or メジャータイトル

欧州ツアー賞金王争いはドナルドとローリー・マキロイの二人に絞られた。最終戦のドバイ・ワールド・チャレンジで、もしもマキロイが優勝し、ドナルドが9位以下になれば、ドナルドのW賞金王の夢は消える。唯一の“ストッパー”となったマキロイは前週の香港オープンで優勝したばかりで波に乗っている。そんな状況下でも、ドナルドは、やっぱり静かに微笑んでいた。

「依然、アドバンテージは僕にある」落ち着き払ってそう言ったドナルドは、初日はやや出遅れたものの、日に日に順位を上げていった。一方のマキロイは初日こそ首位発進したものの、前月に訪れた韓国や中国で罹患したと思われるデング熱が発症し、日に日に後退。3日目終了時点で「ゲームオーバーだね」と、潔くドナルドに軍配を上げ、その通り、最終日に3位になったドナルドが、ついに史上初の米欧ダブル賞金王に輝いた。

だが、その会見でも欧州メディアの質問は相変わらずドナルドのメジャー未勝利に向けられた。「ダブル賞金王を獲得して得た自信が、今度こそメジャー優勝につながると思うか?」といった具合に。

ドナルドは、いつものように、静かに微笑みながら、こう答えた。「サクセスがサクセスを生む。これまでのどの歩みも、そうやって生まれてきた。僕のゴルフキャリアにおいて、それが不足しているのはメジャーだけ。2012年が楽しみだよ」

数字や実績を手に入れるまで、メジャータイトルを手に入れるまで、欧米メディアはこれからもドナルドに「ノー・リスペクト」という枕詞を付け続けるのかもしれない。けれど、どんな苦境にも負けず、どんな酷評にもめげず、時間をかけてゆっくり着実に、そして静かに「1」を追い続けてきたドナルド、タイガーでさえ達成したことのないダブル賞金王に輝いたドナルドは、もはや十分に「リスペクト」に値する。私は心から、そう思う。(舩越園子/在米ゴルフジャーナリスト)

著者:舩越園子(ふなこしそのこ)
東京都出身。東京学芸大学附属高校から早稲田大学政治経済学部へ。同経済学科卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。以来米国に常駐し、在米ゴルフジャーナリストとして活動。人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法が魅力。近年は新聞、雑誌、インターネット等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
<内容紹介>
朝日新聞夕刊に連載中のゴルフコラム「素顔のプロたち~米国ゴルフツアー」。これまで掲載された300編を超すコラムの中から、59編を選び出し、さらに新たな書き下ろし8編を加えて1冊にまとめ上げたのが本書「王者たちの素顔~スターゴルファーの苦悩と歓喜」です。
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