感情と、自らのゲームをコントロールするタイガー・ウッズ
【WORLD】キャリア序盤の活躍はガルシアとクリーマーの重荷?
Golf World(2012年8月27日号)texted by Ron Sirak
1999年「全米プロゴルフ選手権」最終日の16番。19歳のセルヒオ・ガルシアがフェアウェイを走り、スキップし、そしてジャンプする姿を見ていると、当時23歳のタイガー・ウッズは“オジサン”に見えたものだった。その光景を見て、13年後の今もガルシアがメジャーで未勝利の選手だなんて想像もしなかった。
ポーラ・クリーマーは難コースのオークモントで開催された2010年の「全米女子オープン」の最終6ホールで素晴らしいプレーを見せ、23歳でメジャー初優勝とツアー9勝目を飾った。その時には彼女の意思の強さと積極性に感嘆した。もちろん、それから25カ月も優勝できないことになるとは思ってもみなかった。
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そして今年のそれぞれの大会でこの2人が最終ラウンドで優勝へのチャンスをつかんでいた時、プロゴルフの世界でトップをキープすることがいかに難しいかということを改めて認識した。期待というプレッシャーが重荷になっていることも認識した。キャリア序盤で成功を収めた者には、多くを期待してしまうのだ。
一般的に考えても、クリーマーとガルシアは素晴らしいキャリアを築いているといえる。現在26歳のクリーマーは、ツアー初優勝は18歳の時だったし、32歳のガルシアは10代で優勝していた。彼らのゴルフの経歴に、より素晴らしい実績が加わる可能性は十分に残されている。まだそれだけ若いのだから。ガルシアにとっての素晴らしい実績とは、レギュラーツアーでの優勝ではなくメジャー制覇に当たる。またクリーマーにとってのそれは、女子ゴルフで頂点に立つこと、少なくとも米国の女子プロの中ではトップになることだろう。2人とも、それに関しては期待外れというわけだ。
確かにこれは、アスリートとして稀なことではない。映画監督だったオーソン・ウェルズも、26歳にして「市民ケーン」で成功したが、その後これに続く作品はなかったのだ。
ガルシアとクリーマーのスランプは、偉大になるために必要な非道さや、才能ある選手がそれまでに収めた成功に関わらず、それ以上大成しなかったことへの不満だ。それは、ジャック・ニクラスの記録を抜くことに足踏みしているタイガー・ウッズの苦闘のようなものだ。
私が初めてガルシアのプレーを観たのは、ロイヤルリザム&セント・アンズで開催された1996年の「全英オープン」で、彼が16歳の時だった。ガルシアはセベ・バレステロスと練習ラウンドを回っていたのだが、とても幼い顔をしていたので、セベの親戚で選手ではないかと思っていた。
一方、クリーマーのプレーを初めてチェックしたのは、マサチューセッツ州サウスハッドリーにあるザ・オーチャードで行われた2004年の「全米女子オープン」。最終ホールでバーディを獲り、ミッシェル・ウィとローアマに輝いた時だった。何度も苦戦しながらも、しぶとく浮上してくる様子がとても印象に残っている。
ガルシアの最大の敵は彼自身といえよう。自虐的なところがあるようで、今年の「マスターズ」でも土曜の夜に優勝するのは難しいと公言したあたりで、それが分かる。被害者面することを止めれば、メジャー制覇できるかも知れないのだ。
クリーマーの課題はパッティングだ。パットのカテゴリーでトップだったこともあったが、現在はパーオンした時のパット数で36位、全体のパットランクでは46位と低迷している。これが優勝と、単に優勝争いしているだけとの差となっている(「セーフウェイ・クラシック」の最終日に崩れたように)。この不調が、2010年3月に受けた手の手術の影響なのか、単なる自信の問題なのかは不明だ。
そんな中、ガルシアは悪天候で月曜日まで持ち越された「ウィンダム選手権」で優勝し、2008年の「ザ・プレーヤーズ選手権」以来の勝利を飾った。メジャータイトルへのハードルは残されているし、そのバーは両者にとって高いままだが、ガルシアの優勝は確かな進歩だったといえる。
米国ゴルフダイジェスト社提携
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