「マスターズ」制覇を狙える5人のルーキー ティレル・ハットン編
2017年 マスターズ
期間:04/06〜04/09 場所:オーガスタナショナルGC(ジョージア州)
タイガー・ウッズの伝説的勝利から20年 1997年の当事者たち
ゴルフコースは逆算して考える
2位だったロッカはこう語った。「彼は私が1番アイアンを使ったパー3の4番で、アゲンストの中、6Iを使い、(パー5の)8番では、1Wがあまりに飛んだので、2打目はグリーンまで4Iの距離しか残っていなかった。彼は少し左に引っ掛けたが、またしても4Iで低くランの出るショットを放ち、ピンそば60cmにつけてバーディを奪った。2度続けて4番アイアンだ。次元が違う」。(ロッカはこの日、「75」で回ったが、「(前の人)しゃがんでくれ!」という(ギャラリーたちの)言葉を聞き続けた長い一日は決して無駄にはならなかった。その年の9月、スペインのバルデラマで開催された「ライダーカップ」で欧州代表が米国代表に勝った際、ロッカはシングルスでウッズを4&2で退けたのである)
タイガーにとって、彼の「マスターズ」97年大会の勝ち方は少しも複雑ではなかった。「僕のパットの大半は上りのラインだったんだよ」とタイガー。「僕はグリーンを狙うアイアンショットがコントロールできていたんだ。ショートアイアンで打てたからね。なぜ、僕にはショートアイアンのショットが残ったか?それは、1Wショットが素晴らしかったから。パッティングは、ティからグリーンにかけてのすべてが上手くいったことの裏返しなんだ。もしくは、グリーンからティへの逆算、と言ってもいい。父さんは常にゴルフコースは逆算して考えるんだと僕に教えたんだ」
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タイガーは18番グリーンから坂を駆け上り、真っ直ぐにアールの両腕へと向かった。クリントン大統領は電話で、「私にとっての今日一番のショットは、君と父さんが一緒に映った最後のショットだ」とタイガーに言った。
テキサス州キングウッドの自宅にいた、黒人プロのレジェンド、シフォードはこう述べている。
「タイガーの勝利は、私の『マスターズ』に対する思いを沈めてくれた。知っての通り、ジャッキー・ロビンソンが野球で人種の壁を乗り越えてから50年が経った(実際に、この日がちょうど50年目だった)。私は、タイガーが帽子をとって観客に挨拶したときこそ、全てが認められた瞬間だと考えている。そして、最後に彼が父親と抱擁したとき、私は少し涙した。最終ホールを歩くタイガーを見ていると、私も彼の一部であると感じた。彼は、私がやりたいと思いながらも、年を取り過ぎていて果たせなかったことをやり遂げたんだ。駆け出しの頃、私には4つの目標があった。PGAの大会でプレーすること、ナショナルオープンでプレーすること、ゴルフの殿堂入りをすること、そして『マスターズ』でプレーすることだった。4つのうち3つは果たせたのだから、そこまで悪くはないがね」。
4400万人以上がテレビでこの年の「マスターズ」を視聴した。これは当時、ゴルフトーナメントのテレビ視聴者数としては、空前の規模だった。ゴルフ以外では、深刻な悲劇と軽度の悲劇が世の中を騒がせた。高値で取引された「マスターズ」のバッジがひとつ7000ドルを越えたことで、地元のビジネスマンだったアレン・F・コールドウェルIIIは、有力者に約束していた70枚のチケットをそろえることができず、散弾銃で自ら命を絶ったのである。
1979年の「マスターズ」王者にして、1984年の「全米オープン」王者でもあるファジー・ゼラーはテレビクルーを笑わそうと、(テレビを通じて)ウッズに対し、翌年のチャンピオンズディナーでフライドチキンを用意しないよう注意した。「(フライドチキン)あるいはコラードグリーンは彼ら(黒人)が食べる物」とゼラーは口走ったのだ。
ゼラーの大罪は“彼ら”という言葉だった。それは、ファジーや彼の周囲の人間、あるいは我々全員の内奥に潜んでいた何かが口を滑らせて出てきた言葉だったのである(こういうのは、往々にしてうっかり口に出してしまうものである)。これにより、ナイスガイのゼラーはKマートとのスポンサー契約と笑いの遺産を失った。
バトラーキャビンで、タイガーはファルドから着せられたグリーンジャケットに袖を通した。4着のうち初めての1着である。信じられないことに、ウッズはこの後、メジャーでさらに大きな勝ち方をするのであるが、これほど重要な勝利は記録していない。タイガーは2000年の「全米オープン」を15打差で制し、オールド・トムの13打差というメジャー記録を塗り替えたが、このとき塗り替えられた記録はそれだけに留まらなかった。その週のペブルビーチではすべてがひっくり返された。ウィリー・スミス、ウィリー・アンダーソン、そしてロング・ジム・バーンズが、それぞれ101年、97年、そして79年にわたり保持し続けた記録がタイガーにより打ち破られたのである。
真夜中のチャンピオンズロッカールームの如き暗闇に包まれた部分のある「マスターズ」の歴史こそが、1997年をより重要にしたのである。それに、一番大きな愛すべき銀製カップに比べると、グリーンジャケットの方が触り心地が良い。
くだんの借家へ戻り、友人や家族たちと祝う中、タイガーを探していたアールは、寝室で服を全て着たまま、グリーンジャケットに腕を巻きつけながら寝ているタイガーを見つけた。「抱きしめていたんだ」とタイガー。「まるで小さなクマであるかのようにね」。
1年後、彼はそれをマーク・オメーラに着せることになる。
(了)