尾崎将司は最後に「正司」に帰った… 亡くなる直前に弟たちに語ったこと
昨年12月23日に大腸がん(S状結腸がん)のため78歳で死去した男子プロゴルファー尾崎将司さんを偲ぶ「お別れの会」が16日、東京都千代田区の帝国ホテルで行われた。弟の二男・尾崎健夫と三男・尾崎直道が亡き兄への思いを語った。
日本ツアー15勝で71歳の健夫は、亡くなる直前の将司さんの行動に驚いたという。「あんまり兄弟で話ってしないんです。でも、亡くなる一週間前は、よく喋ったね。あんなにじょう舌で」と三兄弟で語り合ったことを明かした。「お墓まで、自分ですべて用意していた。俺はびっくりしちゃった」と率直な思いを吐露した。
日本ツアー32勝で69歳の直道は、「自分の思うまま、欲するままに戦い続けた人生だったと思う。最期の顔は、僕からは本当に静かな、お釈迦様みたいに見えた。生きながら仏になっていった」と兄との別れを振り返った。
同じ職業で圧倒的な存在だった“プロゴルファー尾崎将司”は、血のつながった二人にとっては“正司(本名)”という名の兄でもあった。「『兄やんはいつから“尾崎将司”にしたの?』と聞いたら、『ゴルフするときは俺は“尾崎将司”なんだ。でも、いまは“正司”に帰ったんだ』と言っていました」(健夫)
尾崎さん自ら用意した墓は、故郷の徳島県宍喰(現海陽町)に建つ。「僕も驚きました。よほどあそこに帰りたかったんだな」と直道は言う。健夫は「(将司さんは)そういう人でしたよ。東京に出てなんとかというより、心の底は宍喰に。そういう人間であり続けた男だったと思います」と話した。
尾崎さんは戦後2年が経った1947年に生まれた。軍隊帰りの父はとても厳しい存在だったという。健夫は、「(父の)侍のような、きつい教育から入って、最期までそれとともにあった。やっぱり、結局は親父のもとに帰ったのかな」と兄に思いを寄せた。
「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」での時に厳しい門下生への“愛のムチ”は父親譲りだったのかもしれない。「もしかしたら、今の世の中ではちょっと違うんじゃないかというところもあったかもしれない。それは、我々が心からお詫びをしていく。これから、ジャンボ尾崎の後継者が出てくるよう祈っています」と締めくくった。(編集部・合田拓斗)