尾崎将司さんと32勝の“黄金コンビ” 佐野木計至さん「つらかった」最後の会話

佐野木計至
尾崎将司さんへの思いを語った元エースキャディの佐野木計至さん

尾崎将司さんの隣で国内ツアー優勝を果たすこと32回。昨年12月23日に78歳で死去した尾崎さんの全盛期を支えた元エースキャディ、佐野木計至さんが16日に催された「お別れの会」で弔辞を読み、1学年上の盟友に最後の別れを告げた。

生前の尾崎さんが厚い信頼を寄せた相棒であり、同じ徳島県の宍喰町(現海陽町)で生まれた幼なじみでもある。徳島県立海南高ではともに野球に青春をかけ、1964年に春の選抜高校野球大会を制覇。1976年「広島オープン」から尾崎さんのキャディを務め、最後の優勝となった2002年「全日空オープン」でもバッグを担ぐなど、生涯を通じて長く苦楽をともにしてきた。

献花後に応じた取材では、「まったく、ジャン兄がいなくなった気がしないね。(尾崎さんが)引退してから会うのは盆と正月の年に1、2回くらいだったし。家に帰ればジャンボとの写真もたくさんあるしね」と話し、今でも大切な友を亡くした現実味は薄い。

佐野木計至
青木功に続き弔辞を読んだ

尾崎さんの墓は地元・海陽町に建立され、佐野木さんは先月に行われた納骨式にも参列した。「ジャンボの墓とウチの実家が100yd(約91m)くらいなんですよ。田舎に帰ったら朝、昼、晩と、タバコと焼酎を持って会いに行けるし。さみしいけれど、まだピンと来ないね」。遺骨の収まった墓を前にしても、やはり実感が湧かない。

「あれはつらかった」と思い起こすのは、昨年の12月中旬、千葉県にある尾崎さんの邸宅を訪れて最後の会話を交わしたとき。大腸がん(S状結腸がん)との闘病で痩せた尾崎さんを前に、「ダイエットに成功しとんね」と陽気に振る舞った。「初日はけっこう田舎の話なんかして盛り上がって」。しかし、翌日に尾崎さんの容態が悪化。「声がかすれていた。話が途切れたら、目をつぶっていく感じで」。1分や2分でも、少年時代から常に語り合い、笑い合ってきた2人の間に流れる空白の時間が「ものすごく長く感じた」という。

「向こうに行っても、また(キャディバッグを)担ぐからね」。佐野木さんの言葉に尾崎さんは手を差し出し、握手を求めてきたという。「今までジャンボと握手したことがなかった。優勝してもハイタッチだけで簡単に終わっていたのに、手を出してきて。つらかった。涙がポロポロ出ましたね」。目にうっすらと涙を浮かべ、最後のときを回顧した。(編集部・塚田達也)

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