川村昌弘の「1番アイアン」は30年ものを“ポチっ”と 2位のケニアで大活躍
「いま僕はココにいます」Vol.164 ケニアから帰国編
人は彼のことを“旅人ゴルファー”と呼ぶ。川村昌弘・29歳。2012年のプロデビューから活躍の場を海の向こうに求め、キャリアで足を運んだ国と地域の数は実に70に到達した。キャディバッグとバックパックで世界を飛び回る渡り鳥の経路を追っていこう。
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プロゴルファーの川村昌弘です。
いま僕は地元三重にいます。日本に帰ってきました。
前週のDPワールドツアー(欧州男子ツアー)の「マジカル ケニアオープン」を終えて、一時帰国しました。今週から続く南アフリカでの連戦はお休み。昨年から悩まされている右手首の痛みを軽減するため、コンディションをいったん整えます。
シーズン序盤戦もこの痛みとの闘いが続いていました。アジアシリーズから、毎日のラウンド前後に思うようにショット練習ができず、ケニアでもドライビングレンジには一度も行きませんでした。スタートの1時間前にコースに到着、クラブハウスで紅茶を頂いてからストレッチ、パッティング練習をしてスタートというのが毎日のルーティン。
そんなふうに、準備不足が不安に思えても、ゴルフがうまくいかないかというとそうでもありません。おかげさまでケニアでは今季最高の2位。ムサイガGCは狭いだけでなく地面も硬く、ボールがよく転がるため、必ずしも飛ばし屋有利とは言えず、自分にもチャンスがあると思っていたコースでした。残念ながら最終日最終組を一緒に回ったホルヘ・カンピージョ(スペイン)選手に及ばず、初優勝には届きませんでしたが、ピリッとした位置で良い集中力を保って回ることができました。
さて、ナイロビからはカタールのドーハ、タイのバンコクを経由して帰国しました。最初のフライトで珍しい出来事があったのでお話ししましょう。
機内での食事時。隣の座席のアフリカ人であろう男性がキャビンアテンダント(CA)の女性とやり取りをしていました。彼は赤ワインを飲んでいたのですが「これは甘くない。別のものに変えてくれ」と注文を繰り返します。すると、いつの間にかその輪に僕も加わることになり「こっちのワインなら…」とメニューを見て相談相手になることに…。何度か問答があった後、最終的にCAさんが「もうデザートワインにしてみては」と提案したところ、男性は「これ、おいしい」と満足した様子で飲み進めていました。
「なんてワガママなジイさんだ…」。ちょっと呆れつつ、偶然のコミュニケーションをきっかけに、その後、男性と話をするようになりました。聞けば、出身は南スーダンという国。スーダンは耳にしたことがありましたが、「南スーダンは初めて聞きました」と伝えたところ、2011年にスーダンから独立し、国際連合に承認された世界で最も新しい国だそうです。
12年前に独立する前までの21年間、ずっと戦争をしていたと言います。「僕はゴルフでケニアに行ったんですが、南スーダンにゴルフ場はありますか?」、「ゴルフ場はたぶんないなあ。バスケットボールとバレーボールは結構強いんだ」。まさか機内で自分が知らない国の人に会って、自分が知らない国のことを教えてもらえるとは思っていなかったのでびっくり。貴重な時間になりました。
さて、そんなこんなでドーハに到着。飛行機から降りる直前、例の男性はたくさんの背広を抱えていました。そしてゲートまで走る搭乗者用のバスには乗らず、ひとり列から離れていきます。迎えに来ていたのは専用車。いわゆる政府の要人の方なんかが乗るアレでした。
「あの人、誰だったんだろう…」。空港のビルに足を踏み入れ、せっかくなので電波の入ったスマホで南スーダンを少し勉強。どうにも、画像に出てきたある人と、男性が似ている気がしてならないんです。サルバ・キール・マヤルディ大統領…。うーん、思い過ごしかなあ。
- 川村昌弘Masahiro Kawamura
- 1993年6月25日・三重県生まれ。5歳の時に父と一緒にゴルフを始め、小学生時代には全国大会の常連選手に。ジョーダン・スピースやジャスティン・トーマスらと出場したフランスでのジュニア大会をきっかけに将来の海外転戦を夢見る。高校卒業後にプロ転向し、2013年に20歳で出場した日本&アジアン共同主管大会「アジアパシフィックパナソニックオープン」でツアー初優勝を飾り、海外進出の足がかりを得た。
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