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「いま僕はココにいます」Vol.157 川村昌弘が2022年を振り返る

ふとした瞬間に口から出る英語がなんだか気恥ずかしい。「油断すると『センキュー』とか。なんか(外国に)かぶれているみたいでイヤだなあ」。12月某日、日本に帰国したのは実に8カ月ぶり。世界を巡る旅人ゴルファーとはいえ、2022年は川村昌弘にとって、最も長く母国を離れた年だった。

今年の移動距離は17万6531㎞。地球4周分を超える旅路は、例年以上に波瀾に満ちた。3月、南アフリカでの試合に出場中、ヨハネスブルグ郊外の高速道路で強盗被害に遭遇。男2人組に拉致され、ATMで現金を引き出されたほか、キャディバッグをはじめとした荷物をあらかた奪われた。それでも旅をやめようとしない29歳が、一年を振り返った。

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相次ぐトラブル

プロゴルファーの川村昌弘です。
いま僕は故郷の三重・四日市にいます。日本に帰ってきました。

欧州ツアー(DPワールドツアー)の新シーズン(2023年)が11月にオーストラリアと南アフリカで開幕してから、クリスマス休暇を国内で過ごしています。僕にとって今年最後の試合になった「ISPS HANDAオーストラリアオープン」では腰痛がひどく初日で棄権し、タイ・バンコクを経由して帰国しました。

2022年は本当にいろんなことがあった年のひとつでした。南アフリカで強盗、拉致の被害に遭い、命の危機にさらされました。コロナ禍からの回復で人の出入りが戻った夏場は欧州の空港でロストバゲージが相次ぎ、10月にはフランス→スペインの移動中にキャディバッグを紛失する羽目に。旅にトラブルはつきものですが、大小合わせてアンラッキーな経験がこれほど多かったのも珍しい…。

プロゴルファーとしての自分にとっては、ゴルフのプレー自体に本当に悩まされた一年でもありました。シーズン序盤戦の1月末に発症した右手首の痛みが治まらず、大きなスイングチェンジを余儀なくされたのです。

右手首の痛みから

細かいフィーリングの話になります。僕はもともと、スイング中に右手の動きに多くを頼るタイプで、特に1Wショットの時はインパクト時にロフト7度、8度くらいのクラブを“かち上げて”打つ動きを、小さい頃からやってきました。右手を鋭く走らせながら、球筋もコントロールする。そのバリエーションの多さが自分のストロングポイントでした。

この動きが痛みで思うようにできない。走らせれば走らせるほど、かち上げればかち上げるほど痛みが出る。最初のうちは1Wを持つのは18ホールで5ホール以内といった具合に打つ回数を制限していたのですが、ケアや治療を施してみても「これは簡単には治らない」ことが自分でも分かりました。

シーズン半ばに差し掛かる頃、まず1Wを替えることから始めました。ロフトを増やして10度に。わずかな差のようで、僕たちの目からすると、構えたときに本当にフェースが上を向いているように思うほどです。視覚的な違和感を覚えつつも、手首を使う動きをガマン。アッパー気味だったイメージをレベルに。スイングの見た目は同じようで、全く違う飛ばし方を模索しました。

飛距離ダウン

慣れない動きでは、やっぱり飛距離が露骨に落ちるんです。キャリーで270yd行くかどうかというレベルで戦うのは本当につらい。欧州ツアーに定着して、各地のコースへの知識も増えたところで「このバンカーすら越えないのか…」「この短いホールでこんなに距離が残るのか」というガッカリばかり。海外では“ビッグボール”が必要だと考え、長らく取り組んで「さあ、ここからだ」と思っていただけに、精神的にもダメージが大きい。

その間、アイアンの調整にも時間を費やしました。タイトリストの日本のスタッフさんと相談し、マッスルバック一辺倒だったのも少し易しいT100 アイアンをテスト。シャフトも中学1年生くらいからハードヒッター向けのトゥルーテンパー X100だったのをS300やスチールファイバーも試しました。

ハードだったスペックを体に負担をかけないセッティングにするための作業でしたが、痛みで練習が長い時間できないのがもどかしい。真剣にボールを打てるのは試合ばかり。取り組みの確認作業が満足にできないまま、好結果を出せるわけもなく、考える時間ばかりが増えていきました。“日本人らしさ”かもしれませんが、練習ができないとどうにもサボっているような気がしてならない。身体を動かしていないことに対するフラストレーションがたまっていきました。

来年には30歳になります。プロ生活10年以上でほぼ毎年、30試合以上出るようなキャリアを送ってきましたが、それも少しずつできなくなっていると実感しています。選んだ試合に向けて調整できるようなスタイルを身に付けないといけない。「数打ちゃ当たる」ではなく、ターゲットを絞って結果を出すことの重要性を感じるようになりました。

日本の後輩が欧州ツアーへ

欧州ツアーはこの秋、久常涼選手が日本を飛び出し予選会を突破して出場権を獲得しました。金谷拓実選手も引き続き、限定された機会でチャンスを得ようと必死です。さらに今年の賞金ランキング上位3人(比嘉一貴星野陸也岩崎亜久竜)が23年の出場資格を得ることになりました。

日本では今年ルーキーだった岩崎選手が、僕のジュニア時代から仲の良かった高校の先輩・黒宮幹仁コーチに師事していて、以前オフに一緒にラウンドをしたことがありました。静岡からわざわざ四日市まで来てくれて。球も飛ぶし、うまい。そして、当時から海外について聞かれたこと、本気で海外に出たいなら早く行ったほうが良いと答えたのを覚えています。

彼らが通用するか? もちろん、大丈夫だと思います。ただ、やはり「生活がイヤでなければ」という条件が付くでしょうか。移動や環境、そして言葉。職場であるゴルフ場内であっても、全てがスムーズな日本とは違う。食事もお気に入りのお店をイチから、毎週探さないといけない。思い通りにいかないことに、煮詰まることも少なくありません。

ただ、みんなには仲間がいる。プロゴルファーは一匹狼が多いですが、僕も谷原秀人選手、宮里優作選手が一緒に戦っていた時は、たまにご飯をご一緒したりして本当に楽しかった。練習中に勝負をして「きょうは誰が支払うか」を決めたりして。新しいメンバーでもたまにそんなことができたらいい。考えてみたら、僕が一番年上! そんな年齢になったんだなと思うとビックリです。

“次”に行きたい気持ち

欧州ツアーでの来季のトップ10は翌年にPGAツアーの出場権を得られることになりました。僕の2023年の目標は変わらず、まだ達成できていない「優勝して、最終戦(DPワールド ツアー選手権)出場」。上位争いを繰り返して、“自分の番”が来るのを待つ気持ちですが、米国への道が広がったことは頭にあります。

手首を故障するまで、視線があちらにも向いていたのは確か。同じ1993年生まれのトーマス・デトリーというベルギー人選手はジュニア時代から海外の試合に一緒に出ていた選手のひとり。彼は欧州では優勝できませんでしたが、米下部ツアーの入れ替え戦を通じてPGAツアーの出場権をこの秋につかみました。

やり続けていれば、良い結果がどこで出るか分からない。世界ランキング3位のキャメロン・スミス(オーストラリア)も同い年。いまや「全英オープン」を勝ったスター選手ですが、11月の「フォーティネット オーストラリアPGA選手権」で週末2日間、最終組で一緒にプレーした経験は何物にも代えがたい。学ぶところはもちろん多かったけれど、「パワーもテクニックも全然かなわない。世界が違う」と打ちひしがれることもなく、自分のやるべきことを良いタイミングで示してくれたような気がして、ポジティブに考えられました。

フルシード選手として4年目、本格参戦5年目になる23年は1月19日開幕のロレックスシリーズ「アブダビHSBC選手権」(UAE・ヤスリンクス)から始動するつもり。欧州に行った時と同じで、ここのシードや居場所を守ろうという気持ちよりは「次に行きたい」気持ちを強く持っています。なにせ僕は、“飽き性”なので(笑)。

旅人ゴルファー

Profile

川村昌弘
川村昌弘Masahiro Kawamura
1993年6月25日・三重県生まれ。5歳の時に父と一緒にゴルフを始め、小学生時代には全国大会の常連選手に。ジョーダン・スピースやジャスティン・トーマスらと出場したフランスでのジュニア大会をきっかけに将来の海外転戦を夢見る。高校卒業後にプロ転向し、2013年に20歳で出場した日本&アジアン共同主管大会「アジアパシフィックパナソニックオープン」でツアー初優勝を飾り、海外進出の足がかりを得た。
川村昌弘選手の略歴・戦績はプロフィールページで

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