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<選手名鑑166>ニック・テイラー

■ カナディアンの切なる願い 61年ぶりの優勝は?

今週の「RBCカナディアンオープン」は1904年に始まり今年で111年目、世界で4番目の歴史を誇る大会だ。最後のカナダ人の優勝は1954年のパット・フレッチャーで、ナショナルオープンでは61年もの間、母国選手の優勝が途絶えている。「日本オープン」に日本人選手が61年間も未勝利だったら?と考えると、カナディアンの熱い応援は痛いほどわかるはずだ。

■ 7年の沈黙 緊急事態のカナダを歓喜の渦に

カナダの選手で思い浮かぶのは2003年の「マスターズ」優勝を含め、通算8勝のマイク・ウィア(45)だ。母国の期待を一身に背負いプレーしているが、2007年以来、ウィアも他のカナダ勢も未勝利に終わり、カナディアンゴルフは日増しに重い空気が漂っていた。昨年11月9日、中国で開催された「WGC HSBC選手権」の最終日、バッバ・ワトソンが最終18番で左バンカーからチップインイーグルを決め首位をとらえ、ティム・クラークとのプレーオフの末に優勝を飾った。この鮮やかな逆転劇に、釘づけとなったファンは多かったと思う。その同週、米国ミシシッピ州でもPGAツアーの「サンダーソンファームズ選手権」が行われ、こちらもカナダ出身のルーキー、ニック・テイラー(27)が逆転で、優勝を飾った。首位ジョン・ロリンズに2打差ビハインドでスタートしたテイラーは、7バーディ1ボギーの「66」をマークして、通算16アンダーで逆転に成功したのだ。初のフル参戦わずか4試合目のことだった。カナダにとって7年ぶりの、待ちに待った母国出身選手の勝利で、国中が沸いた。

カナダプレスのアダム・スタンレー記者は「テイラーの優勝はカナディアンゴルフを激励」という記事を配信し、影響力の大きさを強調していた。カナダ・ゴルフ協会の会長スコット・サイモンも「彼は我がツアーで2008年から3年間プレーした卒業生。この喜びはカナダ全土を駆け巡る」と興奮していた。ウィアの「マスターズ」優勝を頂点とし、2007年ウィアの8勝目以降、カナダ人選手の優勝は途切れていた。グラハム・デラエデービッド・ハーンらが活躍するも、2位がベストフィニッシュだった。そんな中、ルーキーで、いわば無名のテイラーが彗星の如く現れ、悲願の優勝を達成。ダブルのサプライズにカナダのファンは歓喜した。そして迎えたナショナルオープン。61年の分厚い壁を突破するのは、テイラーか?とカナディアンは大きな期待を寄せている。

■ トリプル快挙!「全米オープン」でローアマ、世界アマランク1位、ベン・ホーガン賞

テイラーは1988年4月14日、カナダのほぼ中央に位置するマニトバ州で生まれた。その後、西海岸のバンクーバー郊外に転居し、ジュニア時代は同地で練習に励んだ。その頃からの親友が、今季ルーキーでプレーする1歳上のアダム・ハドウィンだ。その後、テイラーはワシントン大学、ハドウィンはルイビル大学と、2人とも米国に留学し経験を積んだ。テイラーは大学生になってからメキメキ頭角を現した。

2007年の「カナディアン・アマチュア選手権」で優勝を飾り、翌08年6月には予選会から勝ち上がって「全米オープン」に初出場を果たした。結果は3打及ばず予選落ちとなったが、09年の「全米オープン」では36位でフィニッシュし、ローアマに輝いた。会場は難コースで知られるニューヨークのべスページ・ブラックコース。2日目にマークした「65」は、同大会史上、アマチュアでの最少ストローク記録となった。そのすぐあとの、同年6月14日付けの世界アマチュアランクで1位になり、21週間、首位を維持し続けた。2010年5月にはアマチュア最高の賞とされる“ベン・ホーガンアワード”を受賞した。歴代受賞者にはリッキー・ファウラービル・ハースライアン・ムーアクリス・カークがおり、この受賞で輝く未来が約束された?と思われた。

■ 苦節4年 3部ツアーからトップリーグへ

2010年にプロ転向したものの、プロの世界の厳しさが骨身に染みる数年を過ごした。同年はPGAツアーの出場権獲得できず、傘下3部ツアーであるPGAカナダからスタートした。3年目の2013年に3部ツアー賞金ランク7位に入り、2部のウェブドットコムツアーQTファイナルステージの出場権を獲得すると、11位で突破した。2014年はウェブドットコムツアーでプレーできるようになった。しかし、5月から不調に陥り、6試合連続で予選落ち。賞金ランク69位でシード権獲得に至らず、復活シード権を狙うファイナルズ4試合の出場権獲得で何とか望みをつないだ。賞金ランク50位に入れば出場権獲得だが、最終戦の最終日まで微妙な位置。だが最終ラウンドでは「63」をマークして21位で大会を終えた。首の皮一枚でつながりながら、賞金ランクは37位に順位を上げ、苦節4年でようやくPGAツアーのシード権を掌中にした。

■ “兆し”皆無の突発的な初優勝

念願のPGAツアー挑戦に胸が躍ったが、またも苦渋を味わうことになったテイラー。初戦は予選落ち、2試合目は56位、3試合目は86位・・・。この86位という順位は彼がMDF (Made cut did not finishの略)に該当したからだった。79選手以上が予選通過した試合は3日目に70位タイで2度目の予選カットを行う。日照時間などを考慮し、プレーが終了できるよう選手を減らす処置で、該当選手は賞金は受け取れるが、最終日のプレーができない。

実はその翌週が彼の初優勝となるのだが、待ち受ける歓喜の兆しなど彼自身もまったく感じておらず、突発的な優勝だった。優勝の理由を聞かれたテイラーは「パットが急に入り始めたから」と語った。テイラーは以前からパットが苦手で、大学のコーチであるサーモンドも「パットが上手ければ何倍も活躍していた」と話した。初優勝の試合では最終日の17番まで、1パットのホールが10ホールもあり、トータル24パット。最終ホール18番で3パットしたものの、後続と3打差の“貯金”で逃げ切った。彼のゴルフは良いか悪いかは明確だが、予測不能。2勝目もある日突然、やってきそうだ。

■ 聖火ランナーで心が点灯 目標は2016年オリンピック出場

テイラーの目下の目標は、2016年のリオ五輪出場で、そのモチベーションは貴重な体験によるものだ。2010年バンクーバー五輪の際、大学4年生の彼は聖火ランナーに選ばれ、同年2月7日夜に故郷アボットフォードを300メートルほど走った。極寒の中、白のニット帽をかぶり、沿道の声援に応えながら聖火を高々と上げ笑顔で走った。「一生に一度の経験で、これ以上嬉しい事はない」と感激した。その聖火は1万2千人のリレーで、1037の地域を巡った。

ゴルフの五輪競技は1900年のパリ大会と、1904年のセントルイス大会で実施された。パリ大会では、米国のチャールズ・サンズが、セントルイス大会ではカナダのジョージ・リオンが金メダルに輝いた。その大会を最後にゴルフは五輪競技から外れることになった。カナダは五輪最後のゴルフ競技で金メダリストを輩出した国であり、五輪に対するゴルファーの思いは強い。開催まであと1年。テイラーは何としてもカナダ代表選手になり五輪出場へ、そしてメダリストになるためにも、今を頑張らねばと必死でプレーを続けている。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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