「クラウンプラザインビテーショナル」プレーヤーの使用アイテム
2015年 クラウンプラザインビテーショナル
期間:05/21〜05/24 場所:コロニアルCC(テキサス州)
<選手名鑑158>ルイ・ウーストハイゼン(後編)
■ Whoストハイゼン!?に発奮
母国で経験を積み、羽ばたく時がきた。欧州ツアーを目指し、意気揚々と渡欧したのだが、活躍までに時間を要した。同じ南ア出身で2歳下のチャール・シュワルツェルは欧州ツアー3戦目にして早々と優勝を飾った。しかも彼はスポット参戦した米PGAツアーでも活躍した。当時はアーニー・エルス、レティーフ・グーセン、トレバー・イメルマン、ティム・クラークら南ア選手たちがゴルフ界を席巻していた。その波に乗れず、取り残されてしまった彼は、メディアに「Whoストハイゼン?」と揶揄されたこともあった。しかし、この出来事が世界へ羽ばたくエネルギーになっていった。相当なショックを受けたウーストハイゼンはその時、何が何でも活躍する南ア勢の中に入らねば、と決意を新たにした。そして起死回生は本人も想定外のビッグステージ「全英オープン」という舞台で、“メジャー初優勝”という形で実現させたのだった。
■ 赤い点のトリック
成績を上げるため、練習、研究に努力と創意工夫を凝らしていった。「全英オープン」での優勝に大いに役立ったと思われる工夫もあった。心理学者カル・モリス博士の進言で、左手の手袋の親指付け根あたり(甲側)にマジックで赤い点を記し、アドレスの時にその点を見るようにした。博士は「点を見ると“今”に集中できるという心理のトリック。赤点の効果で彼は自分のスイングに集中し、乱れることがなかった」と説明した。彼は「最後までメジャー優勝のプレッシャーに押しつぶされず、プレーを完遂できたのは博士のアシストがあったから」と感謝を述べた。
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■ マンデラ氏に捧げた勝利
「全英オープン」優勝は、母国でかつてないセンセーションを巻き起こした。優勝した7月18日は、大統領(第8代)、下院議員などを歴任したネルソン・マンデラの誕生日だったのだ。アパルトヘイト撤廃を訴え、27年間の獄中生活から1990年に釈放され、1993年にはノーベル平和賞を受賞。翌1994年に大統領に就任し、人種隔離政策を撤廃する新憲法を制定した英雄だ。国連は同年からその日を「ネルソン・マンデラ国際デー」と定め、二重、三重の喜びに湧いたのだ。
ウーストハイゼンは、最終日のスタート前にテレビのニュースで特別な日だと知り「マンデラ氏への感謝と敬意を込めて全力でプレーすることを誓い、優勝をマンデラ氏に捧げたい」という強い思いで臨んでいた。「全英オープン」では、南ア出身選手では7人目、メジャー23勝目の優勝者となったが、誰より“持っている男”として母国で大反響を生み、強烈な印象を残す劇的勝利だった。
■ 高級車よりパワーショベル
2007年に南ア出身のNel-Marさんと結婚。Jana、Sophia、Emmaという3人の娘と5人家族になった。生家近くに夫人とともに広大な農園を所有し、畑作業をするため毎年末、家族で帰郷するのを何より楽しみにしている。
2013年1月、母国ダーバンで開催の「ボルボゴルフチャンピオンズ」に出場し、ホールインワンを達成した。優勝副賞で高級車をもらえることになったのだが、彼はスポンサーに「車をパワーショベルに変えてもらえないか?」と前代未聞の交渉をしたのだ。農園の作業に“エクスカベーター(堀削機)”があれば・・・と常々思っていたという。チャンピオンの申し出に応えねばとスポンサーはこの申し入れを受け入れ、“愛車”ならぬ“愛機”を活用して農業も順調に進んでいるようだ。
■ スーパーショットと美スイングで魅せた「マスターズ」
2012年「マスターズ」は、バッバ・ワトソンとのプレーオフに惜敗し2位でフィニッシュしたが、この時のウーストハイゼンの衝撃的なプレーでパトロンたちから喝采を浴びた。最終日の2番(パー5)で、フェアウェイから残り253ヤードの第2打を、4番アイアンで直接カップインさせて、アルバトロス(ダブルイーグル)を達成させた。このアルバトロスは、1994年ジェフ・マガートが13番で達成して以来、マスターズ史上4人目。2番でのアルバトロスは、史上初の快挙だった。その4番アイアンは額に収められ、南アの自宅居間に飾っているそうだ。
同年の「マスターズ」ではワトソンのマジカル・フック(ショット)が目立ったが、ウーストハイゼンの“美スインガー”ぶりも話題になり、米ゴルフマガジン誌は「地球上で最もビューティフルなスイング」と絶賛の記事が掲載されたほどだった。
「マスターズ」惜敗の翌日、すぐに1万マイル離れたアジアへ移動。欧州アジア共同開催の「メイバンク・マレーシアオープン」で悔しさを晴らす優勝を飾った。長距離の移動、時差、湿度、気温差を乗り越え、2位に3打差の完勝でアジアンラウンド初勝利を飾った。「グリーンジャケットよりこっちの濃紺の方が良かった」とジョークを交え、笑顔でジャケットに袖を通した。とはいえ、目指すはメジャー2勝目。今季「マスターズ」は19位タイに終わり、最近は“OMM(One-Major-Man)”との嬉しくない称号も与えられつつある。それを払拭するのは、「全英-」優勝の時のように、またも大舞台なのかもしれない。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。