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ザ・プレーヤーズ選手権
期間:05/07~05/10  場所: TPCソーグラス(フロリダ州)

<選手名鑑156>パドレイグ・ハリントン(後編)

パドレイグ・ハリントンが44歳で大舞台に復活、幾度の惜敗にリベンジを果たせるか

■ いざ、リベンジへ!復活優勝でTPC出場権獲得

ハリントンは今年3月の「ザ・ホンダクラシック」で優勝を飾り、今大会の出場権を獲得した。2008年の「全米プロ」以来6年7か月ぶり、119試合目で米PGAツアー6勝目、43歳6か月の年長優勝で、喜びもひとしおだった。

ハリントンにとって今大会は多くの思い出がある。2001年大会最終日は、稀に見る珍事があった。18番でグリーン右ラフからの第3打をアプローチをしたところ、一度に3つのボールが飛び出してきた。自分のボール以外に2つのボールがラフの奥深くに隠れていて、見えなかったのだ。打った瞬間、3つのボールがラフから飛び出すマジックに会場は大爆笑に包まれた。

惜しかった年もあった。2003年大会で、ジェイ・ハースと首位で最終日を迎えたが、スコアを伸ばせず、猛追してきたデービス・ラブIIIに逆転負けを喫し2位。翌2004年も、最後まで優勝を争ったが、アダム・スコットに、24歳の大会史上最年少優勝でさらわれ2位に終わった。今年は44歳で大舞台に復活し、リベンジを果たさねばならない試合でもある。

■ 米国に親戚がいた!?

ハリントンは欧州ツアーでの安定した活躍で、米PGAツアーへの参戦にあまりこだわっていなかった。しかし、ある2つの出来事で、腰を据え渡米することを決意したのだ。ひとつは、2003年大会の好成績で、テンポラリーメンバーの資格を得てフル参戦への糸口をつかんだこと。もうひとつは米国に親戚がいると知り、米国との気持ちの距離が縮まったからだった。

当時、NFLはデトロイト・ライオンズのジョーイ・ハリントンがクォーターバックで活躍。その後マイアミ、アトランタ、ニューオリンズなどに移籍して活躍を続け、2009年に引退。以降はカレッジフットボール中継の解説者として活躍している。ハリントンは親しい人から「同じ名字のジョーイは親戚ではないか?」と尋ねられたが、米国に親戚がいると聞いたことがなかったハリントンはピンとこないまま。ハリントンの関係者が調べてみると、又従兄弟だということが判明したのだ。それを知らされた両ハリントンは仰天。連絡を取り合うようになり対面を果たした。二人ともプロスポーツ選手であることから、すぐに意気投合し、2004年2位で終えた「ザ・プレーヤーズ選手権」に、ジョーイが応援にかけつけるなど親交を深めていった。

それから間もなくして、もうひとり親戚がいることが判明した。ポーカーのワールド選手権1995年大会の優勝者で、作家のダン・ハリントンも遠縁だと知った。米国に2人も親戚がいることを知り、勇気百倍。迷うことなくPGAツアーのメンバーになった。

■ 屈辱の母国開催ライダーカップ

2004年に米PGAツアーフル参戦から早々に快進撃が始まった。翌2005年には、米国で2勝、欧州では2006年までの3年間で、5勝と突っ走った。しかし、屈辱の経験もあった。母国アイルランドで開催された「ライダーカップ」。僕は開催の少し前に現地を訪れたが、空港からコースまでの道すがら、ハリントンが描かれた巨大な大会ポスターがあらゆるところに貼られ、彼は怖いほどの期待を寄せられていると知った。けれど同大会では、ハリントンは0勝4敗1分けの大敗で、期待を裏切る結果になった。だが大敗を糧にし、同年初めて欧州ツアーの賞金王を戴冠。その後、日本の「ダンロップフェニックスゴルフトーナメント」でタイガー・ウッズを破り優勝を飾ると、翌2007年には「全英オープン」で、悲願のメジャー優勝を飾った。翌2008年には「全英オープン」、「全米プロ」とメジャー2連勝を飾り、次々と勝利数を重ねたのである。

■ 予期せぬ負傷 視力の変化

絶好調のハリントンの勢いを、誰も止めることができなかったが、体の変化がストップをかけた。右ひざの痛みが激しくなり2010年5月25日に手術を受け、戦線離脱を強いられた。翌2011年1月には、首痛により、体の左右バランスを取ろうと左スイングを試行。昨年2月には皮膚ガン(顔)の手術も受けた(2005年、元警察官の父ガンラを食道ガンで亡くしたことをキッカケに、食道ガン啓蒙活動のスポークスマンとして活動。ガンに対する意識が変わったという)。

また、乱視に苦しんだ。もともと弱かったが2009年頃からパットのライン読み、構え、方向性など様々な面に影響を感じ、パットのランク2009年25位だったのが、2011年は46位、2012年は107位と降下の途を辿った。2013年、米PGAツアーの初戦で迎えた「フェニックスオープン」では、初めて眼鏡をかけてプレーした。「仮にそれがストレートラインだったとしても、僕はカップ半分右を狙って打つと調度良かった。ところがここ数年、ストレートパットでわずか右側を狙っても、右側に外れることが度々あった。ゴルフをはじめて20年間、やや右寄りだった自分の乱視の傾向が、今度は左に偏りだしたようだ」と困惑も、眼鏡による矯正でなんとか視力を維持した。

1995年のプロ転向から、今年は20年目のシーズン。栄光を極め、低迷にもがく苦難の時期を経て、今年3月、43歳で飾った優勝。豊富な経験を存分に生かし、いぶし銀のプレーを見せてくれることを期待したい。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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