塚田好宣「24時間ゴルフ」挑戦手記
2021年 全英シニアオープン
期間:07/22〜07/25 場所:サニングデールGC(イングランド)
サニングデールGCで感じた頂点の微香 塚田好宣が歩む“我がゴルフ道”
鉛色の空から落ち始めた細かな雨も、まったく気にならなかった。2021年7月、英国ロンドン郊外にあるサニングデールGCで行われた「全英シニアオープン」最終日。8位から出た塚田好宣は15番ホールを終えて通算8アンダーとし、最終組で回る首位のスティーブン・ドッド(ウェールズ)に3打差まで迫っていた。
同組で回るのは、“ビッグイージー”ことアーニー・エルス(南アフリカ)。1組後ろにはベルンハルト・ランガー(ドイツ)がいて、その後方にはミゲル・アンヘル・ヒメネス(スペイン)とダレン・クラーク(北アイルランド)の名手2人が回っている。その後ろが最終組だ。
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初挑戦の海外シニアメジャーも残り3ホールとなったその時、予期していなかった考えが頭をよぎった。「もしかしたら(トップに)届くんじゃないか?って思ったんです。運があったら届くかもって…」。メジャー大会のサンデーバックナインで優勝を争う選手たちは錚々たる顔ぶれだったが、自分もその集団の一員であることを自覚した。
しかし、現実は甘くはなかった。もしかしたら、ドライバーのフェースが雨に濡れて、つかまりが悪くなったのかもしれないと今なら思う。あの時、一呼吸置ける自分がいたら――。上がり3つのパー4は、ティショットを右にミスしてボギー、ダボ、ボギーとして4打落とした。終わってみれば9打差8位。冷静になれなかった自分に悔しさが残る一方で、「届くかも」と思ったあの日曜午後は、強く記憶に焼き付いた。「自分でもびっくりしたけど、そう思ったんです。勘違いでもそう思えて、幸せだった…」
◆「一番になったことはないけど、一番長く挑戦を続けたい」
50歳を迎えた19年8月にシニアデビューした塚田は、コロナ禍の中で8試合が開催された20年の国内シニアツアーで賞金ランキング7位に入った。「全英シニアオープン」の出場資格は、賞金ランク10位以内の上位2人。それでも、上位選手がこぞって出場辞退したことで、塚田に権利が回ってきた。
「これで行かなかったら、“俺の意味がない”って思いました」と無邪気に笑う。当時、新型コロナウイルスの変異株が流行していたイギリスへの渡航は、ただでさえ健康リスクが高い上に、帰国後は2週間の隔離生活が待っていた。それでも「考えてみたら、これまで楽しいことしか追求してこなかったし、挑戦することをやめたらダメだなと思った」と決断に迷いはなかった。
丸山茂樹、藤田寛之、さらにエルスも同い年。そんな彼らと比べると、レギュラーツアー1勝で、下部ツアーでは2勝して“史上最年長”賞金王に輝いたとはいえ、実績では太刀打ちできない。その事実は受け止めつつも、まだ戦いは諦めていない。「一番になったことはないけど、一番長く挑戦を続けたいんです」
同年代のプロをラウンドに誘うと、よく「仕事が…」と言って断られるが、塚田にその懸念はない。スポンサーやレッスン会など、他の仕事から収入を得ることはまれで、塚田にとって賞金がほぼ全収入だ。これまで試合で稼いだ総賞金額は2億3000万円ほど。経費を考えれば決して余裕があるわけではなく「ほとんどお金は残ってない」と言うものの、この生活を変えるつもりもないという。
「チャレンジ、レギュラーで勝ったので、シニアでも勝ちたい」という野望をさらに大きく膨らませた出来事がある。19年に成田ゴルフ倶楽部で行われた米国チャンピオンズツアー「マスターカード日本選手権」だ。
当時49歳だった塚田は、会場で観戦した。大会は3日間で予選カットがなく、賞金総額250万ドル(約2億7000万円)で、優勝賞金40万ドル(約4320万円)。その一方、同週に行われた国内男子ツアー「日本ゴルフツアー選手権」は4日間で予選カットがあり、賞金総額1億5000万円で、優勝3000万円。どちらも難しい挑戦ならば、往年の名選手らと競い合えた方が楽しいし、賞金も高い方がいい。まるで北極星のように、米国チャンピオンズツアーは塚田の進むべき道を示していた。
◆ヒメネスに圧倒され、エルスに衝撃を受ける
そんな塚田にとって、「全英シニアオープン」は一足先に体験する夢舞台だった。練習場でやけに小柄なおじさんがいると思ったら、イアン・ウーズナムが黙々と打っていた。練習では迫力のないランガーが、試合になると飛距離も出て、パターを入れまくったりする。ここで長く戦い続けているということは、それだけで並大抵の人間ではない。
大会3日目に一緒に回った57歳のヒメネスは、1番(パー5)のティショットでいきなり塚田を40yd引き離すと、2打目を直接沈めてアルバトロスを奪ってみせた。「この人には勝てないな」と、たった1ホールで圧倒された。
ラウンド中も葉巻をくゆらせ、ときに好奇の目を向けられるウォームアップのルーティンにも、周囲を気にする素振りはまったくない。同じドローボールが持ち球だったので、「フェードボールを打ちたいと思わないか?」と聞いてみると、「これが俺のスイングだ」と我が道を行き、泰然自若。頑なに“自分”を守っていることに気付かされた。
同い年のエルスは、ショットではレギュラーツアーを戦う選手に引けをとらないが、パッティングが危なっかしい。「長尺パターがこの世からなくなればいい」と苦虫をかみ潰すような顔でこぼしていた。この苦労をみんなが平等に味わえばいいのに…という願望だろうか。
エルスには、チャンピオンズツアーのQTを受けようと思っていることを打ち明けた。その反応はシンプルだが衝撃だった。「ベリー・タフ(とても厳しい)」。だけど、挑戦をやめるわけにはいかないのだ。(編集部・今岡涼太)
今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール
1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka