アクロンで忘れがたき勝利を手にしたシェーン・ローリー
<ルーキーシリーズ>ポール・ダンの見据えるスターダムへの道
風の強かった7月の「全英オープン」の1週間、ポール・ダンは文字通り旋風を巻き起こし、世界中の新聞紙面をにぎわせたわけだが、このアイルランド出身の若者は不安やパニックの素振りをまったく見せなかった。ヨーロピアンツアールーキーの彼は、若いながらも成熟したプレーヤーなのである。
23歳の彼は、ザック・ジョンソンが制したセントアンドリュース・オールドコースでの「全英オープン」で、アマチュア選手として首位で最終日を迎えたことで、一躍脚光を浴びる存在となった。
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これは世界中のスポーツファンの想像力を刺激するストーリーとなったが、この降って沸いたような突然の名声は、アイルランドの首都ダブリンからほど近いグレイストーンズ出身で物腰の柔らかい青年を惑わすには至らなかった。
1週間で彼の名は広く知れ渡ったが、ダンは幻想を抱くことなく、地に足をつけて前進を続けている。
確かに彼はヨーロピアンツアーへの険しい道程を経ており、Qスクールでは第2ステージで6ホールにわたるプレーオフを制した。3ステージすべてを突破することで、ここ一番で本当の力を発揮できるタフさを証明し、「レース・トゥ・ドバイ」でのデビューを飾ることになった。
それはヨーロピアンツアーの夢を追う2ヶ月間で、アイルランドの自宅でわずか5日間しか過ごせなかった彼のめまぐるしいシーズンの締めくくりには相応しいエンディングであったと言えよう。
「ありきたりな言い方ですけれど、想定外の一年となりました」と、かつての「ウォーカーカップ」出場選手であるダンは述べた。「良い形で一年を終えることができればと思っています」。
「Qスクールの翌週は1週間休みを取ろうかと思ったのですが、そうしませんでした。大会の後、休養の時間は十分にあると見極め、自宅にいるよりプレーすることを選びました。休みを取ったとしても、2日後にはプレーしていればと後悔するのは目に見えていましたから」。
注目トピック
#全英オープン
ダンはセントアンドリュース・オールドコースでの最後の2日間をルイ・ウーストハイゼンと同組でプレー
#安定感
不思議な偶然の一致ではあるが、ダンはQスクールの3ステージ全てを通算10アンダーで終えている
#スポーツ一家
ダンはスポーツの血統に生まれており、兄のデイビッドはスポーツ栄養士として、ラグビーのハリクインズFC、サッカーのクイーンズパーク・レンジャーズFC、そしてカヌー英国代表チームに従事
■ スポーツの神童
2014年の「ライダーカップ」勝利キャプテンであるポール・マッギンリー同様、ダンはアイルランド伝統のゲーリック・フットボールではユース世代で群の代表選手としてプレーしている。ちなみに彼はフットボーラーとしては左利きで、ゴルフに集中するまではテニスを始めとする多くのスポーツで卓越した才能を見せている。
■ アイルランドの英知
ダンの出現やアマチュア世代における現在のアイルランド人選手たちの活躍は、偉大なる先人が世界を舞台に隆盛を極めたこともあり、決して偶発的な出来事ではないだろう。
「明らかにアイルランドはスポーツ大国として誇りを持っており、そのため僕らは地元育ちのスターに注目するのです」とダン。「子供の頃はパドレイグ・ハリントンがいつも最高のお手本でしたし、大学に行ってからはグレーム・マクドウェルが同じような存在になりました。というのも、彼は同じ大学を卒業したんですよ」。
「グレームはアラバマ大学バーミンガム校で僕が見習いたいと思うすごい記録を打ち立てていましたし、その後、僕が初めて代表チーム入りしたときにハリントンがメジャーを制覇したと思ったら、今度はGUI(アイルランドゴルフ連合)の育成システムから上がってきたシェーン・ローリーが活躍したんですよ。素晴らしかったですね」。
「他の人が達成し、それが可能だと分かると、とにかく真面目に取り組むようになり、ハードワークをいとわなくなりますね」。
「シェーンはアマチュアの頃から知っていますし、グレームとは大学で何度か会い、ここ数年は彼と何度か練習ラウンドを回っています。ハリントンとはダンヒルで初めて会いました。みな僕に良くしてくれます」。
「彼らは僕にアドバイスをくれますし、とてもオープンに接してくれます。ポール・マッギンリーも僕にとても良くしてくれました。彼とはダンヒルで会って、少しの間、ともに時間を過ごしました。ちょっとしたおしゃべりをするのに僕を呼び止めてくれたんです。自分のケアをしながらも、こちらにも気を配ってくれていたんですね。気にしてくれる人々がいると知って良かったです」。
今年のパフォーマンスからかんがみると、ダンはゴルフ界の高みを目指す上で、偉大な先輩たちの手助けを必要としそうにない。それどころか、ことによると彼はアイルランドゴルフ界の次世代をインスパイアする存在となるかもしれない。