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【番外編_144】20 Years of タイガー・ウッズVol.3「壁を乗り越えて」

■ 逆風を強烈パフォーマンスで応戦

タイガー・ウッズはプロデビュー直後から、センセーションを巻き起こしたが、すべてが順風満帆だったわけではない。プロゴルファーとして、社会人として大きな壁にぶつかり成長してきた。

1996年8月27日にプロ転向を果たし、その後に迎えた連戦の最中のことだった。「疲れてプレーが出来る状態ではない」と5連戦目となる試合を欠場した。連戦はアマチュア時代に経験が少なく、プロ転向後の多くの選手がぶつかる最初の壁だ。ウッズが欠場した試合はジョージア州の田舎町で開催された「ビュイック・チャレンジ」という小規模ながら、ゴルフ界では大きな意味を持つ大会だった。

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同週にはコース横の大ホールでフレッド・ハスキンス賞(学生最優秀選手賞)の授与式も毎年行われ、同賞は長い伝統を誇る学生最高の勲章で、ウッズはその年の受賞者でもあった。しかし、その授賞式も欠席し、多くの人を落胆させ、厳しい批判へと拡大。ツアープロの多くも同賞に特別な敬意を抱いており、PGAツアーではウッズに対する逆風が吹き荒れた。

賞金王のトム・カイトは 「疲れた?そんな理由で欠席はないだろう。少なくとも僕は20歳の時に、そんな理由で大事な行事を休んだことはなかった」と吐き捨てた。温厚なピーター・ジェイコブセンまで「欠席とは何事か。パーマー、ニクラスなら万難を排し、出席したはず。彼はスーパースターと肩を並べると話題だが、そんな器でない」と不快感を露わにした。選手や関係者全員を敵に回したような不穏な雰囲気に包まれ、ウッズはツアーに復帰できるのか?と懸念したほどだった。

しかしウッズはピリピリした緊張の中、次戦ラスベガスでの試合に、敵陣にたった一人で挑むように出場し、ミラクルを起こしたのだ。強敵デービス・ラブIIIをプレーオフで下しツアー初優勝。プロ転向から、わずか5試合目での快挙だった。さらに7戦目でも優勝を飾り7戦2勝、3位2回、5位1回と別格の強さを見せつけた。出場7試合で賞金ランクもトップ30に急浮上し、最終戦となる「ツアー選手権」の出場権まで獲得。渾身のパフォーマンスで雰囲気を逆転させてしまった。

■ スローガンは打倒タイガー!

当然ながら「ツアー選手権」には、ウッズはスーパーヒーローとして颯爽と登場した。大会前日の記者会見で女性記者が「出場の目標は何ですか?」と聞くと「To Win(勝つため)」と即答。会見には中継局で解説をしていた「全米オープン」2連覇のカーティス・ストレンジも同席していたが、その発言にカチンときたのか、「世界レベルのPGAツアーでは2位でも悪くはないのでは?」と質問をぶつけた。するとウッズは「2位は最悪、3位は論外」と跳ね返した。大先輩に対してのこの発言から“生意気”という悪いイメージが広がり、またまた逆風が吹き始め、ツアーにも「打倒タイガー」の機運が高まっていった。ウッズには挑発する気は一切なく、率直な気持ちを答えただけ。この発言が波紋を呼んだことに戸惑っていた。このようにして自分の発言がどのように受け止められ、どのように影響するかを学び、状況に応じて発言を、言葉を選びながら対応をするように成長していった。

■ 最初のスキャンダル セクハラ発言も優勝で一掃

年が明けた3月、ウッズにとって最初の大スキャンダルが起こった。男性誌GQの女性記者に対し、取材中に不適切な発言を連発したと報じられた。オフレコで話したつもりが、すべて明るみに出てしまったのだ。この出来事からメディアに対し優等生的な発言しかしなくなり、取材規制もかなり厳しくなっていった。

事件後、最初に行った記者会見で謝罪したが、「今回の騒動で多くのことを学んだ」と締めくくった。この言葉には悔しさが滲み、その思いをプレーにぶつけて必ず晴らしてやる、そんな決意表明だと僕は感じた。ツアー内は冷ややかな雰囲気、“打倒タイガー”と敵視するムードはさらに高まっていった。

そんな逆境にも、ウッズはまたもズバ抜けたプレーで圧倒し、4月の「マスターズ」でメジャー初優勝を飾ると、6月16日には、世界ランクの頂点に立った。年間4勝を果たして賞金王を戴冠。最優秀選手賞など主要タイトルを総なめにし、“打倒タイガー”の狼煙をあげた選手をことごとく仕留めた。それどころか状況は一転して、「ウッズには勝てないかも」という雰囲気さえ漂い始めた。

98年はスイング改造の影響で1勝しかできなかったが、以降のパフォーマンスは加速を続け、最長となる281週に渡り世界ランク1位に君臨。通算では650週に及ぶ史上最長記録を更新した。

■ 社会貢献のテーマはTeachとLearn

ウッズはネガティブな出来事を、プレーで次々と払拭し続けてきた。と同時に、社会貢献にも情熱的に力を注いだ。プロ転向直後から、父アールとタイガー・ウッズ基金を設立し、チャリティ活動に着手してきたのだ。僕が初めて取材したのは1997年6月、ニューヨークの練習場で開催したジュニアへのレッスン会だった。ぎこちないながらも「子供たちの喜ぶ姿が何より嬉しい」と、一人一人にグリップから丁寧に教える姿が印象的だった。さまざまなチャリティコンペも開催し、活動は全米規模へ拡大した。今ではPGAツアーの試合に組み込まれるまでになった。

また1998年から基金への募金を集める目的で、年に1度の大イベント「タイガー・ジャム」を開催した。初回のパフォーマーはイーグルス、その後、クリスティーヌ・アギレラ、セリーヌ・ディオン、プリンス、スティービー・ワンダー、スティング、ヴァン・ヘイレン、キッド・ロック、ワン・パブリックらトップアーティストがウッズに賛同し出演を受け入れた。チケットは常に即完売で大成功を収めている。

さらにウッズは目標を“Teach”から“Learn”に拡げていった。生家近くに広大な土地を購入し、ラーニングセンターを建設。2006年の開場式には、クリントン元大統領も出席して盛大に行われた。ゴルフだけでなく、子供たちが放課後や休日にあらゆる職業を学べる施設で、今ではワシントンDCやフィラデルフィアなど米東部にも増設されている。父の名を冠とした奨学金制度を設けるなど、弁護士や看護師など、多くの出身者が世の中へと羽ばたいている。社会におけるゴルフの存在やタイガー・ウッズの価値は、ファンを興奮の渦に巻き込む卓越したプレーだけではなく、ゴルフを通した果てしなく莫大な社会貢献にある。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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