やりにくい? ツアーで唯一の兄弟プレーオフ/残したいゴルフ記録
ゴルフ界をにぎわせた元祖・三兄弟ゴルファー/残したいゴルフ記録
国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。また、73年以降もツアー史に埋もれている輝かしい記録が数多く存在します。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献をもとに男子ツアーの前史や初期にスポットを当て、後世に残したい記録として紹介します。
静岡・川奈出身の「石井三兄弟」
プロゴルフ界の三兄弟といえば、真っ先に思い浮かぶのは尾崎将司、健夫、直道の「尾崎三兄弟」だろう。だが、かつて三兄弟といえば、静岡・川奈ゴルフコース出身の石井治作、茂、哲雄が有名だった。3人は地元、富戸高等小学校の少年キャディとしてゴルフになじみ、戦前の1930年代から第2次世界大戦をはさみ、1950年代までの間にプロとなった。
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長男の治作は1915年2月生まれ。川奈でプロ入り直後、関西の広野GCに所属。戸田藤一郎の兄弟子として活動し、1934年「日本プロ」2位、「関西プロ」2勝(1935、50年)などトッププロとして活躍。のちに関西プロゴルフ協会会長に就任し、ゴルフ界に貢献した。
次男の茂は6歳下。174センチ、60キロの大型プレーヤーとして人気。広野、熱海、川奈、そして千葉・紫とすみれ、愛知・葵(あおい)と所属を変え、1954年に当時マッチプレーで争った「日本プロ」の決勝戦で小野光一を7&5の大差で破り優勝した。川奈時代は、杉本英世と村上隆、アマ時代の湯原信光の師としても知られる。
さらに3歳下の末弟・哲雄は、1949年に広野所属でプロテストに合格した。初優勝は2年目の1951年。地元・広野開催の「日本プロ」決勝戦で、大御所の中村寅吉を3&1で下し初優勝をあげている。1956年には「関西プロ」「関西オープン」を相次いで制し、1961年には2度目の「関西オープン」制覇。石井姓は川奈、富戸地区に多く、石井迪夫、石井朝夫らゴルフ史を飾る名選手は多いなかでも、3兄弟の活躍はゴルフ界の注目を集めた。
兄2人と妹の「三きょうだい」を含めると、宮里聖志、優作、引退した藍さん。さらに中嶋常幸、和也、女子ツアー通算4勝の恵梨華も注目された。これまでゴルフ界をにぎわせてきた三兄弟(きょうだい)の歴史。今後も、ツアーの盛り上げ役を担う“符号”となるのだろうか。(武藤一彦)
- 武藤一彦(むとう・かずひこ)
- 1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。