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後世に残したいゴルフ記録

やりにくい? ツアーで唯一の兄弟プレーオフ/残したいゴルフ記録

国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献により男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録として紹介。今回は、ツアー開始後ながら公式記録に載せられていない事例として、89年に行われた唯一の“兄弟プレーオフ”を振り返ります。

尾崎健夫・直道による兄弟プレーオフ

男子のプロゴルフ競技が始まってから95年。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきたなか、兄弟や親子による優勝争いは、140人余りが一堂に会するゴルフではさして珍しいことではない。しかし、年間に数試合ほどのプレーオフを、まして兄弟で争うというのは、日本ツアーでは過去に1度あるだけだ。

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1989年秋のジュンクラシックCC(栃木県)で行われた「ジーン・サラゼン ジュンクラシック」最終日。首位スタートの尾崎三兄弟の末弟・直道(当時33歳)が通算9アンダーとスコアを伸ばし、5位につけていた次男・健夫(同35歳)がベストスコア「66」で並びプレーオフへ。18番パー4の繰り返しで行われた1ホール目、健夫がティショットを右池に打ち込んだあと、直道はフェアウェイに運ぶ。健夫はボギーとしたが、直道も2段グリーンの一番手前20mから3パットしてボギーで分けた。続く2ホール目、健夫がピンそば2mに2オンすると、グリーンを外した直道は1mのパーパットを決められず、健夫に優勝が転がり込んだ。

長兄の尾崎将司(同42歳)は6位で、三兄弟がトップ10入り。将司は笑いながら弟たちの争いを遠目で見ながらニヤニヤ。勝った健夫は「いや、もうこんなのは嫌だ。弟をいじめているみたいで、どう見ても悪役はオレでしょう。勝った気がしない」。一方、自滅した形で敗れた直道は「勝負の世界、遠慮なくいったが力及ばなかった」と唇をかんだ。ギャラリーは大喜びだが、当人たちにはやりにくいものらしい。表彰式でもインタビュールームでも雰囲気は暗く、我々も戸惑ったことだ。

健夫はシーズン2勝目、通算14勝目。賞金1260万円を加え、プロ入りからの通算獲得賞金は3億円の大台を突破した。直道はシーズン2戦目の「テーラーメイド瀬戸内海オープン」で早々と優勝。さらに将司はここまでシーズン6勝、自己の持つ最多優勝記録を「64」に伸ばしていた。

尾崎三兄弟の”3強時代“と名付けたいような強さだった。この3カ月前の賞金ランキングでは1位将司、2位直道、3位健夫と、シーズ序盤から上位を独占。最終的に健夫は7位に落としたが、将司は1億円突破を果たして5度目の賞金王に輝いた。2位は直道が入り、王国は最後まで揺るがなかった。本場「マスターズ」の伝説的なチャンピオン、ジーン・サラゼンの名を冠した由緒ある大会は1977年に創設され、99年まで23年間にわたり開催。その間、将司が5勝、健夫と直道が1勝ずつの計7勝。コースは別名“尾崎ブラザースの庭”と呼ばれた。(武藤一彦)

武藤一彦(むとう・かずひこ)
1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。

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