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後世に残したいゴルフ記録

尾崎将司の賞金王は14回だった?/残したいゴルフ記録

国内男子ゴルフは1973年にツアー制度が始まりました。以降はあらゆる記録がデータとして保存され、現在ではインターネットを通じてさまざまな情報を閲覧できます。一方で、72年以前にも数多くのプロ大会が行われてきましたが、日本で初開催の1926年「日本プロ」から47年間の記録は、公式にはほとんど残されていません。

本連載では、記者として長くゴルフ取材に携わる武藤一彦氏が取材メモや文献を駆使して男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録を深掘りします。

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尾崎将司の賞金王 ツアー記録は12回だけど…

1970年にプロ入りした尾崎将司のツアー記録には、73年「関東プロ」から通算94勝、12回の賞金王という輝かしい数字が残されている。96年に挙げた8勝は、中嶋常幸(83年)と並ぶツアー年間最多優勝記録として現在も破られていない。

ただ、これはツアー制が開始した1973年以降の記録だ。それより前の戦績を調べると、尾崎はプロ2年目の71年に初優勝を含む5勝、72年に9勝(海外1勝を除く)を挙げている。両年とも、国内大会で年間トップの賞金を獲得していた。つまり、賞金王になったのは12回ではなく14回だった、というのが今回のテーマである。(※)

ツアー施行前2年間の輝かしい戦績 その賞金総額は?

尾崎はプロ2年目の1971年、公式戦「日本プロゴルフ選手権」で初優勝を飾り、ほかに4勝を挙げて計1601万1000円を稼いだ。それまでの国内記録を更新する最多賞金額だった。

翌72年は、1月の「ニュージーランドプロ」で海外初優勝。国内では「ウイザード」、「全日本ダブルス」、「札幌オープン」、「アサヒ国際」、「千葉オープン」、公式戦「関東オープン」、「ファーストフライト」、「グランドモナーク」、「日本シリーズ」の9戦で勝った。国内賞金2534万2000円を得て、さらに記録を伸ばした。

プロ4年目にツアー制開始

賞金ランキングとシード制が導入されたのは、ツアー制度がスタートした1973年。対象競技を4日間72ホールと定め、出場枠や賞金配分率を決めた。当該年のランクに基づいて次年度のシード権を与える現行のシステムを整えた。

米ツアーに追いつき、世界を目指す―。海の向こうを眺めながらの意気込みがトーナメント界を勢いづけた結果、遅々として進まなかった改革がようやくこの年に実現したのだ。

一方で、尾崎の輝かしい71年と72年は背後に追いやられ、2回の“賞金王”は歴史の彼方に吹き飛んだ。筆者として、この意気込みをあと2年か、もっと前に持ってほしかった、と言いたいところだ。

71年から数えると、4年連続の賞金王となる。尾崎は94年から98年にかけて5年連続で賞金王に輝いているが、デビューから4年連続の賞金王も大きな快挙に違いない。トーナメント界の決断がもう少し早ければ、歴史の見え方はまた、大きく変わっていただろうに…と残念な気がしてならない。(武藤一彦)

(※)尾崎のプロ通算勝利数として言及される「113勝」という数字は、72年以前の15勝(海外1勝を含む)と、以降のツアー外競技で飾った4勝を加えたもの。

武藤一彦(むとう・かずひこ)
1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。

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