ブラジルでの五輪ゴルフ 最終日のチケットが売り切れる
2016年 リオデジャネイロ五輪
期間:08/11〜08/14 場所:オリンピックゴルフコース(ブラジル・リオデジャネイロ)
【五輪コラム】幻に終わったオーガスタ開催の光と影/佐渡充高
24年前――幻と消えたアトランタ五輪での競技復活
1992年11月のことだった。五輪中継を担当しているNHKの総合プロデューサーから「アトランタでゴルフがオリンピック競技に復活することがほぼ内定した。サマランチ会長が最終承認して決定する」と聞いた。
当時、僕はPGAツアー最終戦「ザ・ツアー選手権」の中継でノースカロライナ州パインハーストにいた。ゴルフ競技の五輪復活の可能性はあまり話題になっておらず、次回4年後の96年大会からの復活という急な展開にとても驚いたことを記憶している。しかも、会場はアトランタと同じジョージア州にあり、世界的に有名な「マスターズ」の舞台であるオーガスタナショナルGCだという。「92年ぶりに五輪競技に復活するかもしれない!」という突然の朗報に関係者は喜びに沸き、次第に誇らしい雰囲気が漂っていった。
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ところが、この話は信ぴょう性が極めて高いところからの情報だったが、サマランチ会長は承認せず、アトランタ五輪でのゴルフ競技復活はあっけなく幻と消えた。僕が聞いた理由は「オーガスタナショナルGCは女性メンバーを認めておらず、五輪にふさわしくない」とのことだった。同クラブは女性だけでなく、メンバーは白人のみという人種問題でも批判を受け、その2年前の90年に初めて黒人メンバー1人を迎えたばかりだった。
そこで、いくつかの疑問が浮かんだ。ひとつは「排他的と言われるオーガスタナショナルGCを五輪会場に選べば競技復活が承認されない可能性が高く、それをアトランタ五輪委員会が想定していなかったのか?」という点だ。第2案、第3案などを用意していなかったのか?用意はしたが、それも認められなかったのか?今となっては正しい経緯や詳細を知ることは極めて難しい。
が、振り返ると承認されなかった理由は会場問題だけではなかったように思える。IOCは国際ゴルフ連盟(IGF)をゴルフの主要統括機関としている。当時、その機関の最高責任者は全米ゴルフ協会のデビッド・フェイと英国R&Aのピーター・ドーソンだった。当時のIGFにはプロゴルフ団体が加盟しておらず、プロトーナメントの日程調整、プロゴルファーに対する権限がなかったため、世界で活躍するトッププロの出場を確約できなかった。
五輪競技に復活し、会場を決め、相応しい国と地域の代表選手を選び、日程を保証するには欧米の男女プロゴルフ協会や各国ゴルフツアーの統括団体との連携は不可欠だ。しかし、当時の組織はすべてに未熟で、たとえゴルフが五輪競技に復活しても成功へ導くことができる状態ではなかった。これも実現できなかった大きな理由だと思う。つまり、オーガスタナショナルGC以外で開催という第2案、3案をもってしても復帰は難しかったということだ。サマランチ会長はゴルフを取り巻く状況を見抜き一蹴したのだろう。