ジャック・ニクラス インタビュー オークモントよもやま話(中)
2016年 全米オープン
期間:06/16〜06/19 場所:オークモントCC(ペンシルベニア州)
ジャック・ニクラス インタビュー オークモントよもやま話(下)
米国Golf Digest誌6月号 2016 全米オープン特集
1962年、オークモントCCで行われた「全米オープン」は、ゴルフ界の帝王ジャック・ニクラスの数々の偉業のルーツともいえる大会でした。プロ転向して直後に臨んだ試合で、地元ペンシルベニア州出身のアーノルド・パーマーをプレーオフの末に破って初優勝。歴代最多メジャー通算18勝の最初の勝利でした。あれから40年あまり。ニクラスがオークモント、パーマーと全米オープン、そして家族とのエピソードなどをインタビューで披露しました。
◆「当時の体重は90kg」
1962年、私は身長が183cmあり、体重は90kgだった。ただ、ウェストは88cmあったので、アーノルドと並ぶと重く見えただろうね。とは言え、私の体つきは良い状態にあったのだよ。コロンバスの自宅にいる時は遊びでバスケットボールをしていたしね。ゴルフコース上で疲れるということは全くなかった。速く歩いたし、どこまでも歩くことができた。36ホールフィニッシュにも驚かされることはなかったよ。
◆「ラッキーズボンがあった」
タイトにフィットした白いシャツと、12ドルのスラックスのせいで実際よりも太って見えたのかもしれない。そのとき履いていたスラックスはオリーブグリーンのような灰色のような色だった。まるで軍の作業着のように見えたかもしれないね。オークモントでは土曜にその格好をしたんだ。それで調子が良かったのだから、日曜に服装を変える手はないだろう。いつもその話をするたびに、バーバラが割って入って、少なくともシャツは新しいのに替えてと指摘するのだよ。ただ、ズボンに関しては、部屋のすみに立てておいて、次の日も履いたんだ。あれは私のラッキーズボンだったのだよ。
◆「長男のジャッキーは当時9カ月だった」
72ホールを終え、私とアーノルドはタイだった。彼は3mのパットを入れれば勝ちだったのだが、厚めに外した。それで、日曜に18ホールのプレーオフが行われることになった。その週、アーノルドはラトローブの自宅に泊まっていた。バーバラとジャッキーと私はホテルに宿泊していた。自宅のベッドで寝られるので、アーノルドが有利とする向きもあったけれど、私はホテルで心の平静を保つことができた。家族のせいで気が散るということもなかったよ。9カ月のジャッキーの面倒を見るバーバラを気が散る存在と見なさなければ、ということだがね。
◆「プレーオフの詳細は忘れても、ジャッキーの名シーンは忘れない」
プレーオフの前日だった土曜の夜は、フランキー・アヴァロンが我々の泊まっていたホテルで歌ったんだ。当時、彼は大スターだったが、残念ながら、我々はショーを見ることができなかった。日曜の朝は、プレーオフの前に私の母がジャッキーを連れてホテルのコーヒーショップへ朝食を食べに行った。すると、そこにはフランキー・アヴァロンがいて、朝食を食べながら宿泊客に挨拶をしていたんだ。ジャッキーは“スピッター(唾を吐く人)”と呼ばれることがあり、たった9カ月ながら、ミサイルを飛ばすように嘔吐する癖があったのだが、フランキー・アヴァロンと顔を合わせると、なんと彼に対しても手荒く吐いたんだ。それが飛び散ってね。聞くところによると、フランキー・アヴァロンは「子供に吐かれた!」と叫んだらしい。そんなシーン、そうあるものじゃないだろう。時が経ち、私はアーノルドとのプレーオフに関しては、その細部の多くを忘れてしまった。しかし、ジャッキーのフランキー・アヴァロンに対する自己紹介と、そのまた逆についてのストーリーは忘れないだろうね。
◆「もうひとつジャッキーとの思い出」
小さいジャッキーとの冒険は、そればかりではなかった。私のティタイムが早い時間だった時は、私が少し余分に寝られるよう、朝になるとバーバラはジャッキーを連れてコーヒーショップに行っていた。ある朝、彼女は帰ってくると、ジャッキーがテーブルクロスを、上に乗っていた水の入ったグラス、コーヒーカップ、皿、ナイフフォーク、そしてケチャップボトルごと引き落としたと私に報告したことがあった。バーバラにとっては若干ストレスが溜まったかもしれないけれど、彼女のおかげで私はぐっすり眠ることができた。実際、彼女と移動していると、いつも良く眠れたよ。9時間や10時間眠ることなんてざらだったね。