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2018年 マスターズ
期間:04/05〜04/08 オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

マスターズの揺るぎなき伝統と変革/ゴルフ昔ばなし

ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載は4月のメジャー初戦「マスターズ」(5日開幕)を特集中。世界最高のゴルフショーは1934年に第1回大会が開催され、20世紀中盤にその人気が爆発します。4大メジャーのうち唯一、開催会場(ジョージア州・オーガスタナショナルGC)が変わらない大会ですが、その魅力を支えてきたものは何だったのでしょうか。

■ マスターズにはかつて“ドラコン”があった

三田村 今ではマスターズの入場券はプラチナチケットになっているけれど、最初のうちは(大会設立者、コース設計者の)ボビー・ジョーンズが弁護士仲間に数十枚のチケットを買ってもらったり、ジョーンズと大会を作った実業家、クリフォード・ロバーツが軍人に無料で配ったりしていた時代があった。それでもなかなかパトロンが集まらず、アイアンコンテスト、ドライビングコンテストを試合前に実施していた時代もある。それが1960年に始まったパー3コンテスト(毎年開幕前日にオーガスタナショナルGC内のパー3コースで実施)につながったんだ。
宮本 ラジオ中継に始まり、テレビ中継が開始されたのが1956年。マスターズ、ゴルフ界にとっては、テレビ時代の到来とアーノルド・パーマーのデビューが重なったことも非常に意味のあることだった。彼の持つ魅力、見る人を引き付ける力が、オーガスタをここまでもってきた理由のひとつだったと思う。

■ ヘビースモーカーだったパーマー

―2016年9月に死去したパーマーはマスターズで通算4勝(1958、 1960、 1962、 1964年)。彼のファンは“アーニーズ・アーミー”と称されるほど熱狂的で、やがてゴルフコースを埋め尽くすほど多くなりました。

三田村 アーニーズ・アーミーはオーガスタナショナルGCにほど近く、陸軍基地があるゴードンという土地に由来している(参照)。当時のパーマーにはすさまじい人気があった。彼はヘビースモーカーだったが、ファンはショットの前にタバコを吸った時と、そうでなかった後のショットの精度を比較した。パーマーはよく、ズボンの腰のあたりをたくし上げる仕草をしていたんだけど、これまた『たくし上げた時と、そうしなかった時の比較』をされる。一方で、パーマーについた当時のマネジャー、マーク・マコーマック氏の手腕も見事だった。アーニーズ・アーミーのための“缶バッジ”を作ったりしてね。パーマーはマコーマックに全幅の信頼を置いていた。
宮本 マコーマックはパーマーとの良き関係から、のちにIMG(インターナショナル・マネジメント・グループ)を創始した。今では世界中のアスリートのサポート(日本では錦織圭、浅田真央ほか)をするスポーツマネジメントの走り。IMGは今では世界に学校なんかも持っているが、同社はゴルフから、パーマーから始まったんだ。

■ 変容を何度も重ねるオーガスタ

―世界中のゴルファーが一度はプレーしてみたいと思うオーガスタナショナルGC。距離だけでいえば、1940年代は6800ydだった18ホールは現在、7435ydにまで伸びました。その中身は何度も改造が施されています。

三田村 僕が初めてオーガスタに行った1970年代はまだグリーン周りにもラフがあった。それでも「とんでもないところに来た」と思うくらい、美しく、すばらしいコース。今はロープの中にはカメラマンもメディア関係者も入ることはできないが、当時は大会前週には中を歩けたりしたんだよ。
宮本 中を歩いてみると、外から見ているのとは全然違う。本当に難しいことが良く分かる。僕も中嶋常幸選手について、一緒に歩かせてもらった。13番(パー5)の2打目、3打目地点がいかにつま先上がりか…。トミーが「構えてみろよ」って言うんだ。16番(パー3)ではグリーンのスロープがどれだけ速いか…。パターで打たせてもらって、本当に驚いた。
三田村 13番はグリーンの左手前から右奥にクリークが流れているロケーション。今でこそ2オンを狙う選手の第2打はミドルアイアンの時もあるが、当時は3Iくらい。中嶋は「こんなライから、高い、軽いフェードを打てと要求されるんですよ…」と話していた。
宮本 オーガスタナショナルGCには長い歴史で細かい改造と、大きな改造がある。戦後にロバート・トレント・ジョーンズ・シニアらが手を加え、1981年に昔のバミューダ芝からベント芝に張り替えを行った。その際にはオークモントCC(ペンシルベニア州/2016年「全米オープン」などを開催)のグリーンキーパーを引き抜いた。オーガスタでベント芝が成功して以降、それが世界中に広がっていった。それに一目では分からないくらいの小さな改造もうまい。
三田村 距離を伸ばすためにティグラウンドを下げる時にも、フェアウェイにうねりを加えて、下がったように見せなかったりする。でも、それを見抜くのが一流選手。特に青木功選手はそういうことがすぐ分かった。1番のティに立った時、「あれ、三田村、右のバンカーが1インチずつ広がったな」とかいうんだ。ウソでしょ…ってこっちは思うんだけど。

■ オーガスタにある“3C”の精神

三田村 マスターズは時代の変遷とともに、パトロンに受け入れられるような施策をどんどんやってきた。一方でコースも改造を続けた。今年の大会後には5番ホールを伸ばす可能性もある。コースの地下に埋まるサブエアシステム(水はけをよくするために地面を乾かす機材)は昔、12番ホールにしかなかったが、その後13番…と増えて、今では全ホールに搭載されている。
宮本 オーガスタナショナルGCはもちろん名門だが、伝統や歴史を大事にしながら、常に前を向く改革心みたいなものがある。
三田村 スタートの「よーい、ドン!」から息を止めて18番まで回るくらいのゴルフ場。ボビー・ジョーンズだったら、コースをどう攻めたんだろうかと考えることがある。80年以上たった今でもそう思わせるほど、伝統の守り方がうまい。伝統を守るのに必要なのは3つのCと言われる。Create(創造)、Change(変革)、Challenge(挑戦)。古いものをかたくなに死守するのではなく、時代によって自ら変容していく。オーガスタはまさにそう。デジタルではなく、アナログのリーダーボードを使い続けながら、どんどん進化する。その精神は不思議と伝説的なチャンピオンたちにも投影される。セベ・バレステロス(スペイン/マスターズ2勝)が初めて勝った1980年、(2日目に)17番ホールのティショットを左の7番グリーンまで曲げてしまったが、2打目でバーディチャンスにつけた。それを見たジャック・ニクラスは「なんてバカげたプレーだ…」と言ったが、彼が初めて優勝した時、ボビー・ジョーンズに同じことを言われた。マスターズは時代の移り変わりとともに変化を施しながら、伝統を守ってきたんだ。

夢舞台である「マスターズ」にはチャンピオンの数だけストーリーがあります。しかしながら、その何百倍もの敗れた選手たちが存在します。喜劇の裏に悲劇あり。次回は長い歴史の中でどうしてもグリーンジャケットに届かなかったグレッグ・ノーマンらにスポットを当てます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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