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2018年 マスターズ
期間:04/05〜04/08 オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

奇跡のオーガスタナイト 青木功と尾崎将司のひとつ屋根の下/ゴルフ昔ばなし

ゴルフライターの三田村昌鳳氏と写真家の宮本卓氏が対談形式で過去のゴルフシーンを振り返る連載は第7回。20世紀後半の日本ゴルフ界は、青木功選手と尾崎将司選手が力強くけん引しました。試合中の激しい争いについては多くが知るところですが、そのバックグラウンドには戦友としての美しい関係性がありました。今回の「ゴルフ昔ばなし」は、ふたりのコースの外でのエピソードを明かします。

■ 多忙だったAON W杯の練習日にカレンダー撮影

三田村さんは尾崎将司選手の黄金時代にカレンダー撮影の仕事を自身の会社で請負っていました。カメラマンの座は立木義浩氏(1937年徳島出身の昭和・平成を代表する写真家。女優写真の第一人者と言われる一方で、広告、雑誌など様々な分野で活躍。ゴルフではマスターズの取材など多数)から1992年頃に宮本さんにバトンタッチ。宮本さんは中嶋常幸選手、青木功選手に続いてAONの撮影を任されることになりました。

宮本 当時は3人それぞれが、撮影スケジュールをめぐる“せめぎ合い”もありました。ジャンボさんの撮影はずっと立木先生がされていて、僕は写真を選ぶ工程などもずっと見せていただいていた。それがある日、先生から「次からはお前が撮れ」って言われて…。改めてあいさつに出向いたとき、ジャンボさんは全然話してくれないの。「お前が撮るのか」って顔してね(笑)。
三田村 本当に彼らは忙しかったからね。1988年なんか、オーストラリア・メルボルンでのワールドカップの期間中に撮影した。練習ラウンドの時に袋にシャツとズボンを詰めて、2ホールごとに違ったウェアを着て、脱いでもらって、なんとか撮ったなあ。ジャンボはカレンダーの写真にもうるさかった。プリントも和服の帯の写真などを受け持つ京都の印刷所に頼んでいた。カメラマンには露出アンダー(適正露出よりも暗く撮影すること)で撮ってもらった。そうするとインクが“肉厚”になって…。
宮本 それがまた豪華なつくりになる。インクの“のり”が違う。だから伝わるものも違ったんだ。

■ ウェアのコーディネートは誰が

宮本 試合中も含めて、特に青木さんとジャンボさんは被写体としてまず独特のカッコよさがあった。特にショットを打つまでのカッコよさが抜群だった。コースを見渡して弾道のイメージを頭に描いて、手足が動き、アドレスに入る…。その仕草がたまらない。やっぱりふたりは似ていると思う。あんな2人はいない。ゴルフは歩いている時間の方が長いスポーツで、そのサマが明らかに他の選手とは別物だった。ただ、あのふたりで何が違うかというと…ファッションで言うと、青木さんはコーディネートをチエ(宏子)夫人が全部決める。ジャンボさんは自分で選ぶ。ゴルファーにとっての“戦闘服”みたいなものは試合において非常に大事で、ジャンボさんは「今週は4日間をこう作っていく」といった意思を感じさせた。
三田村 尾崎は最終日に履くズボンを、前日の夕食の時に履いていた。洗濯されたものを、翌日に向けて馴染ませていたんだ。
宮本 ジャンボさんのズボンは両足の真ん中(膝頭の上)に線が入っているでしょう。あれは二つ折りにしてスーツケースに入れているから。そういうのをトミー(中嶋常幸)なんかはカッコいいと思っていた。池田勇太なんかもその折り線が目立つ感じでプレーしていたよね。それが、青木さんの場合はチエさんが「線のついたズボンなんか功には履かせられない!」という感じだったそうだよ。

■ 「ジャンボの寝顔、見に行こうぜ!」

三田村 青木と尾崎の関係というのは独特で、互いが互いをリスペクトしていたと思う。ふたりは一度同じ宿に泊まったことがある。カレンダー撮影の話からずっと前になるけれど、1974年の「マスターズ」でのこと。尾崎は前の週にグリーンズボロでの試合に出たが、予選落ちをして土曜日にはオーガスタに移動した。だけど、宿は月曜日からの契約で、交渉しても泊まるところがない。それが、オーガスタの小さな空港に着くと、青木が迎えに来ていて「ジャンボ、どこに泊まるんだ?」って。困っていることを聞くと「じゃあ、うちに来いよ」って助けてくれたんだ。青木が借りていた宿(オーガスタではマスターズの期間中に周辺住民が選手に家を貸し出すケースが多い)で事なきを得たが、メーンのベッドルームは当然、青木が家族で使う。だから尾崎は子ども部屋で寝ることにした。その夜、リビングにいた僕のところに来た青木さんが「三田村。ジャンボの寝顔、見に行こうぜ」って言うんだ。
宮本 ハハハ。信じられないよね。
三田村 部屋のドアをそっと開けたら、尾崎が巨体を丸めて眠っている。子ども用のベッドだから、足が出ちゃうからね。青木は「おい、見てみろよ。ガキみたいでかわいいもんじゃないか」というのが第一声だったよ。
宮本 青木さんの方が年は上だけれど、若いころからジャンボさんに対する憧れというか尊敬というものは半端じゃない。
三田村 “ないものねだり”なのよ。青木にはジャンボに比べ、ああいう派手さ、いわゆるスーパースター然としたものが劣っていた。だから、ジャンボのことがかわいくてしょうがない。ふたりはライバルと言いつつ、いがみ合ったことは一度もないはずだ。僕たちメディアはそうとらえて、発信したけどね。ライバル関係はあくまでフェアウェイの中での話。ジャンボだって、青木をリスペクトしていた。「青木さんはあの手首の柔らかさがなければ、ただのゴルファー。あの10cm(の手首の動き)が青木の命」と言っていた。青木さんはあの天性の柔らかさがパッティングやパンチショットに生かされている。尾崎はそこが割と硬い。打つ前に、手首を“しならせる”ような動きをいつもするでしょう。そういう意味で、ものすごく青木のことを認めているわけ。

■ ジャンボのスランプを見た青木の行動

―連載の第2回で記したように、尾崎選手は30代前半で大スランプを経験しました。その1980年初頭に青木選手は黄金時代(連載第5回)を築きます。当時のふたりの関係性はというと…。

三田村 尾崎は昔、自分の子どもやジャンボ軍団、その家族をもてなすためにパーティを開いていた。大物芸能人なんかも呼んでね。美空ひばりさんも来たことがあった。
宮本 弟の尾崎直道選手なんかは、そういう兄の背中にすごい印象があったんだ。
三田村 いわゆる“超・スランプ”の時、そのパーティにサプライズで青木功とチエさんが来たんだよ。実は尾崎の義子夫人とチエさんの間で、電話のやりとりが事前にあったそうだけどね。でもその当時、青木は尾崎に早く復活してほしいという気持ちをいつも持っていたからね。

75歳の青木功、71歳の尾崎将司。ふたりは頂点を極めたものが持つ志を互いに保ったまま、現在は日本男子ツアーに会長と選手という立場で関わっています。連載の“AO編”は次回が最終回。日本ゴルフ界への提言で締めくくります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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