2015/12/14アマ・その他

第四回「日本プロゴルフ殿堂」入り3人が発表

する存在として歴史に名を残している。 【主な戦績】 国内21勝、海外1勝、国内シニア4勝 【代表歴】 ワールドカップ(1961~65年) ■杉本英世(すぎもと・ひでよ) 1938年2月16日 静岡県
2016/05/20国内男子

遠い国から帰ってきた男 川村昌弘のリフレッシュ法

のラウンド後は車で1時間ほど走り、和歌山県の代表的な観光名所、弘法大師が開いた高野山へと足を運んだ。「僕の名前の『弘』は弘法大師から取ったので、行ったほうがいいかなと」。歴史に詳しいという小岸秀行
2014/06/26国内女子

“ママ”初戦の茂木宏美 「90点」の11位スタート

の復帰初戦となった福嶋晃子は予選を通過して50位タイ。「スタイルが違うけど、自分でブレーキを掛けちゃいけないなと思いました」と刺激を受けた。さらに歴史を紐解けば、84年の長男出産後、半年後の「中京
2015/01/15米国男子

余韻は消えず―― 松山英樹、苦手ワイアラエの攻略なるか?

言っても仕方ない。気持ちは切り替わっています」。 ここワイアラエCCは、1983年に青木功が日本人選手として初めてPGAツアー優勝を飾った記念すべき場所。あれから32年、歴史は新たな1ページが刻まれることを待っている。(ハワイ州ホノルル/今岡涼太)
2014/09/07PGAコラム

2人のメジャー覇者が上位にじわり…

By Sean Martin, PGATOUR.COM チェリーヒルズCCは、メジャーの舞台となってきた長い歴史がある。一番有名なところでは、アーノルド・パーマーが劇的な勝利を収めた1960年の
2014/09/15米国男子

最年少の年間王者、27歳ホーシェル「人生で最高の瞬間」

信じて、みんなも僕を信じて、顔を上げさせてくれた」 歴史に残るラストスパート。ホーシェルはレギュラーシーズンをポイントランキング69位で終え、プレーオフ第1戦「ザ・バークレイズ」で予選落ちしたが、続く
2014/07/01ヨーロピアンツアー公式

サー・ニック・ファルドがロイヤルアバディーン参戦へ

いる。 ゴルフの母国であるスコットランドでの歴史的な偉業により、ファルドがロイヤルアバディーンに集うギャラリーより温かい歓迎を受けることは間違いないであろう。そのファルドは、ダレン・クラーク、ポール
2014/09/06GDOEYE

1オン可能なパー4で甦ったアーノルド・パーマーの記憶

が最もグリーンに近づくショットを放ったが、グリーンから49ヤード手前のバンカーまでにしか及ばなかった。 「彼は最高のロングヒッターの一人だったんだ。こんなクラブで届いてしまったんだから」とマキロイ。歴史の1ページを覗き込んだ瞬間だった。(コロラド州デンバー/桂川洋一)
2014/06/01米国男子

不安から自信へ 松山2週連続の優勝争い「先週とは違う」

プレジデンツカップでタッグを組んだアダム・スコット(オーストラリア)。「先週は不安だったけど、今週は自信を持って出来ている。先週と今週は違います」と、強気なコメントも口をついた。チャンスは「先週よりもあると思う」と睨む眼光の先には、新たな歴史が待っている。(オハイオ州ダブリン/今岡涼太)
2016/07/19ヨーロピアンツアー公式

ヘンリック・ステンソンが全英制覇で達成した記録一覧

。 ・ステンソンによる72ホールのトータル「264」は、メジャーの歴史においても最少記録となった。これまでは2001年に「全米プロゴルフ選手権」を制したデビッド・トムズの「265」がベストだった。 ・通算20
2018/12/13米国男子

松山英樹「来年はメジャーで活躍を」 東北福祉大で報告会

30周年。栄光の歴史をスタートさせた星野は「我々が学生時代に築き上げてきたことを目標にしながら(現役生が)積み重ねてくれている。毎年うれしく思います」と後輩たちの活躍を喜んだ。一番の思い出は「3年生の
2018/06/30GDOEYE

100年前のゴルフ雑誌広告 宣伝文句は今も同じ?

「全米オープン」などを主催する全米ゴルフ協会(USGA)の本部は、ニュージャージー州のファーヒルズという小さな町にある。敷地内には数棟の建物が点在。そのひとつにゴルフの歴史を詰め込んだといえる図書館
2013/01/15欧州男子

R.マキロイがナイキゴルフと総合契約を締結

・デイビスCEOは「マキロイは優れた実績を残しているだけでなく、同時に多くのゴルファーに常に影響力をもつ類い希なアスリートだ」と評価し、今回の契約について「(ナイキゴルフの)歴史の中で最もエキサイティングな
2012/11/03GDOEYE

選手たちがツアーを盛り上げるために思うこと・・・

聞こえてくるグリーン周りからの歓声。この歓声をさらに大きなものにするために、選手たちは常々そんなことを考えながらプレーし、その想いがツアーの歴史となって、深いシワとともに刻まれていることを、ひとりでも