旅人ゴルファー川村昌弘 ”世界の花屋”と肉メシ
2019年 ISPS HANDA ヴィックオープン
期間:02/07〜02/10
「いま僕はココにいます」Vol.50 オーストラリア番外編
人は彼のことを“旅人ゴルファー”と呼ぶ。川村昌弘・25歳。2012年のプロデビューから活躍の場は日本だけでなく、ユーラシア大陸全土、そのまた海の向こうにも及ぶ。幼い頃から海外を旅することこそが夢で、6年間のプロ生活で巡った国の数は実に40に到達。キャディバッグとバックパックで世界を飛び回る渡り鳥の経路を追っていこう。
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プロゴルファーの川村昌弘です。
いま僕は、クアラルンプールにいます。
今週はオープンウィーク。前週の「ISPS HANDA ワールドスーパー6パース」を終えて、直行便でマレーシアに来ました。中東、オーストラリアの旅から、なんだか“ホーム”に帰ってきた気分です。
試合はありませんが、今回はオーストラリアで会ったプロゴルファーについてお話しさせてください。2週前のメルボルン、「ISPS HANDA ヴィックオープン」でのことです。第2ラウンドが行われた金曜日の夜、宿泊していた民家の近くにあったホテルには、雰囲気の良い地元のパブがありました。そこでの食事中、バッタリ遭遇したのはチリ出身のヒューゴ・レオンという選手。昨年秋、欧州ツアーの出場権をかけたQスクール(予選会)の最終日に一緒に回ったプレーヤーでした。
6日間108ホールのストロークプレーで争われる最終予選会は、ピリピリムードが漂います。次のシーズンの“職場”を争うわけで、当然と言えば当然でしょう。最終日のバックナインに入って通過ラインの上にいた僕も、最後はすごいプレッシャーを感じました。
ヒューゴはその日、当落線上でプレーしていましたが、常に変わらず、明るく振る舞っていました。2mほどのバーディパットを何度か外しても、フラストレーションを吐き出すこともなく、同伴競技者を応援し、励ましながらホールを進めていきます。終盤17番を終えてノーバーディ、1ボギー。パーなら不合格となる18番(パー5)で、ティショットを大きく曲げながら、2打目をフェアウェイに出し、3打目を2mにつけてバーディフィニッシュを決め、見事滑り込みに成功しました。
あんな緊張感の中でも、自分のことはもとより、周囲を盛り上げることができる。「こんなことができる、こんなにカッコいい選手がいるんだなあ…」と強く印象に残りました。ラテン系で陽気なのは分かります(笑)。それでも同じプロゴルファーとして、似た立ち振る舞いが僕にできるだろうか。目指すべき人格の持ち主に出会えたと思いました。
メルボルンでの偶然の再会に、ワインを一杯ご馳走してもらいました。34歳のヒューゴも世界中を回って、年間30以上の試合に出ているそうです。こんなめぐり合わせも旅の魅力です。
〈オーストラリアでのディナー〉
前週のパースでは町中のホテルに宿泊しました。ココでは山口県下関市の郷土料理、瓦そばをいただける和食店があります。オーストラリアは“ちゃんとした”日本食を食べようと思うと、物価は少し高め。32オーストラリアドル(約2509円)でした。
- 川村昌弘Masahiro Kawamura
- 1993年6月25日・三重県生まれ。5歳の時に父と一緒にゴルフを始め、小学生時代には全国大会の常連選手に。ジョーダン・スピースやジャスティン・トーマスらと出場したフランスでのジュニア大会をきっかけに将来の海外転戦を夢見る。高校卒業後にプロ転向し、2013年に20歳で出場した日本&アジアン共同主管大会「アジアパシフィックパナソニックオープン」でツアー初優勝を飾り、海外進出の足がかりを得た。
川村昌弘選手の略歴・戦績はプロフィールページで