セントアンドリュースの悲嘆の埋め合わせを期すマキロイ
2016年 全英オープン
期間:07/14〜07/17 場所:ロイヤルトゥルーンGC(スコットランド)
<選手名鑑206>ダスティン・ジョンソン(後編)
■ ハートブレイクから“The New DJ”へ
ダスティン・ジョンソン(31)ほどメジャー大会で悲劇を経験した選手はいない。全米オープン優勝までメジャー挑戦28回で、2位2回を含め、トップ5に5回。勝利を目前にことごとく逃してきた。
最初は2010年のペブルビーチGLで開催された全米オープン。最終日、通算6アンダーの首位発進で、2位のグレーム・マクドウェルに3打差をつけて迎えた。大量リードとは言えないが、少ないリードでもなく、十分に優勝を狙える位置だったが、2オンが可能、バーディを狙える2番パー5で、痛恨のトリプルボギーを叩いた。短いミドルの3番ではダブルボギーとして序盤で失速し、『82』を叩いて自滅した。
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2度目のチャンスは同年8月の全米プロ。首位タイでホールアウトしマルティン・カイマー、バッバ・ワトソンとのプレーオフになるはずだった。だが18番のティショットがギャラリーの中へ。2打目の位置は、ローカルルールで「バンカー」と定められている場所で、競技委員に「ソールした」と指摘され2罰打を受けて5位タイに後退した。翌2011年の全英オープンでは、優勝のダレン・クラークに3打及ばず2位に終わった。
最も悔しかったのは昨年の全米オープンだろう。幾度ものハートブレイクが脳裏をよぎったと思われる。ストレスとプレッシャーで噛み煙草(無煙草)を口に入れていた。最終18番、約4mのイーグルパットは、決めれば優勝、2パットでもプレーオフという有利な状況に持ち込んだ。誰もが「最悪でも翌日のプレーオフ」と思っていたが、1mのバーディパットが入らず、3パットのパーで2位タイに終わり、ショックのあまり表彰式には姿を見せず、勝者スピースの横に設けられた椅子は最後まで空席だった。
今年の全米オープンでも最終日に思わぬ事態が発生した。5番グリーン上でボールが動いたか否かで、一旦、無罰の裁定が下されたが、その後12番で処分保留の処置を言い渡され、裁定はホールアウト後に下されることになった。罰打で自分のスコアが変わる、極めて不安な状況でプレーすることが、精神的にもどれだけ辛く難しかったか。だが、試練やその重圧さえも乗り越えるパフォーマンスで、2位に3打差をつける文句なしの勝利を飾ったところに、成長した“The New DJ”を確信したのだ。
■ 実弟オースティンと挑んだリベンジ
弟オースティンも、昨年の悔しい思いを胸に、兄と同じ気持ちで挑んでいた。長い間、キャディはベテランのボビー・ブラウンだったが、2013年のWGC HSBCチャンピオンズから、実弟がバッグを担いでいきなり優勝を飾って以来、コンビを続けている。3歳下で、チャールストン・サザン大学バスケット部から、チャールストン大学に転校し卒業。ゴルフも上級者で、欧州ツアーのダンヒルリンクス選手権には、パートナーとして兄弟ペアで2回出場したこともある。弟も運動神経に優れ、ゴルフにも精通していて、技術的な助言もし、一緒にワークアウトも行っている。何より兄弟なので気兼ねなく、プライベートなことも話せる間柄で楽なのだという。かつてビル・ハースやルーク・ドナルドも兄弟がキャディを担っていたが、近すぎる関係が災いし、長続きしなかったペアもいる。ジョンソン兄弟は既に3年が経過し、稀な成功例でもある。昨年、ある米記者はジョンソンが、なかなかメジャーに勝てない理由として「キャディをスティーブ・ウィリアムスのような経験豊富で実績ある人物にしないから」と発言したことがあった。全米オープンでのメジャー初優勝は「いつか見返してやる」という兄弟のリベンジでもあった。
■ パートナーは歌手でモデルのポーリーナ・グレツキー
ジョンソンは素晴らしいプレーを続けてきた。その原動力はパートナーの強力サポートにある。そのパートナーとは、カナダ出身の歌手でモデルのポーリーナ・グレツキー(27)で、父はアイスホッケー界のレジェンド、ウェイン・グレツキー(55)だ。3年の交際の後、米男性誌マキシムの表紙をセクシー水着で飾り、大きな話題になった。ゴルフ好きの両親の影響で、幼い頃にゴルフの経験があり、ジョンソンのレッスンでメキメキ上達。翌春には米ゴルフ誌の表紙やゴルフクラブのCMにも登場した。少女時代はソフトボールに熱中するなど、「ジョンソンの応援でコースを歩くのもワークアウト」と、パワフル且つセクシーに応援を続けている。
昨年1月19日には、長男テイタム君が誕生し、ジョンソンは父になった。昨年2位タイに敗れた全米オープンでのこと、ポーリーナはすぐに駆け寄りジョンソンの胸にテイタム君を抱かせた。その瞬間ジョンソンの表情が緩んだ。失意のどん底に落とさない、彼女の気遣いが溢れる光景だった。2013年8月に婚約、同居し、事実婚状態はもうすぐ3年。メジャー初優勝で、入籍の日も近いかもしれない。
■ 娘婿to beに夢を託すアイスホッケーの神様
グレツキーはゴルフ好きとしても有名だ。毎年2月に開催のペブルビーチ・プロアマではジョンソンとペアを組むのが恒例だ。ハンディ“2”の腕前で、ウェブドットコムツアーのホストもするなどPGAツアーとの縁も深い。
ポーリーナとの婚約で、アイスホッケーの神様グレツキーは家族となり、ジョンソンの成長に大きな影響を与えている。一緒にプレーするだけでなく義父の数々の体験談を聞く機会が増えスポーツの極意を学ぶようになった。一緒にトレーニングすることもあり、グレツキーもジョンソンのスタミナ、身体能力、努力に驚き、成功を願い、フルポテンシャルを引き出そうと懸命だ。
グレツキーは、昨年の全米オープンで気持ちがクラッシュした様子を間近で見ていて「次のチャンスを呼び込むため、気分転換が必要」と、すぐに大自然のアイダホへの旅行を提案、家族で楽しむゴルフをしながら気持ちの傷を癒した。グレツキーの妻で女優のジャネット・ジョーンズも、ツアーのプロアマ戦で何度も優勝しているほどの腕前だ。ライバル?でよき理解者、ポーリーナの弟たちもプレーし、ジョンソンにとってゴルフはファミリースポーツにもなった。グレツキー一家はジョンソンに夢を託し、ジョンソンは世界的スポーツセレブから、父として夫として、選手としての生き方、考え方を学んでいる最中だ。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。