回復待つ松山英樹 開幕2日前は練習場でウェッジの打ち込みも
2016年 WGCキャデラック選手権
期間:03/03〜03/06 場所:トランプナショナルドラール(フロリダ州)
<選手名鑑188>シャール・シュワルツェル(後編)
■ 「Hello World!」シュワルツェルの名を世界に轟かす
2010年、シュワルツェルの名を世界に轟かせたのは今大会(当時の名称はCA選手権)だった。年4回開催される世界選手権で、その年の2試合目、コースは“ブルーモンスター”の名で知られる難コース、トランプナショナル・ドラールだ。現在では愛称がそのままコース名になったブルーモンスター・コースが舞台となる。世界選手権は強豪らが競うビッグイベント。開催年のマスターズ出場者とメンバーがほぼ同じなので、マスターズでの活躍予想に大いに参考になると言われている。テレビ放映も世界規模で、活躍すれば世界のゴルフファンに存在感をアピール出来る。
2010年の最終日は、彼が少年時代からサポートを受けてきたジュニア基金創設者で、師匠かつ恩人のアーニー・エルスと首位タイでスタートした。中盤まではデッドヒートを繰り広げたものの、残念ながら終盤のボギーが響いてエルスに優勝を譲ってしまった。とは言え、堂々の単独2位で終え、エルスやグーセンに続く南アの若き星はシュワルツェルであることを強く印象づけた。エルスは感無量で自分の優勝以上に成長した弟子の活躍を喜び、評価した。その後マスターズ直前のヒューストンオープンでも優勝争いを繰り広げ、3位と健闘。そしてその翌年(2011年)に南ア出身選手3人目のマスターズ優勝に結びつけた。
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■ JR山手線内側面積の2倍!巨大養鶏場の長男
シュワルツェルは1984年8月31日、南アフリカ共和国、ヨハネスブルグで生まれた。実家はヨハネスブルグ郊外で3代続く巨大養鶏場の長男だ。養鶏場の広さは想像をはるかに超える。何と東京JR山手線が囲む面積の約2倍、甲子園球場の約8634倍だ。フェンスもない大自然の中で4万3千羽の鶏を飼育し、一日の卵の産出量は3万4千個にのぼると言う。さらに山手線内側の面積ほどのコーン畑も所有し、飼料も自家生産。話を聞いて、理解するのに時間を要したほどのスケールだ。
家業の手伝いをしながら育ち、父は「彼がいつ家業を継いでも大丈夫。すべて知っているから」と、養鶏業での成功にも太鼓判だ。実家の養鶏場で働く人たちの多くはアフリカ各地出身の黒人で、彼らは主にアフリカーンス語(公用語のひとつ)で会話する。アフリカーンス語は、南アがオランダの植民地になったことを契機に、オランダ語に南ア独自の特徴が加えられて発展した言語だ。シュワルツェルはバンドゥー諸語も堪能で、故郷にいる時には英語をほとんど話さず、地元コミュニケーションも完璧だ。年末年始の帰郷の際は、家業の手伝いにも意欲的で、ゴルフ引退後は後継者?としての道も残されている。
南アの選手は農業に携わるケースが多い。世界選手権シリーズなどビッグトーナメントの優勝経験を持つデビッド・フロストは、実家が葡萄畑を営み、ワイナリーを経営している。レギュラーツアーを引退した後は家業に携わり、自身の名を冠した“フロストワイン”を発売した。50歳になってからはチャンピオンズツアーに参戦を続けている。アーニー・エルスも、自身の農園で実る葡萄の素晴らしさを楽しんでもらおうと“エルスワイン”を発売し、高評価を得ている。2010年の全英オープン優勝者ルイ・ウーストハイゼンも実家が農家で、かつて優勝副賞で贈られた車より、「トラクターが欲しい」と提供企業と交渉し、変えてもらったというエピソードもある。彼らは庭ではなく、“大地”とともに育ってきた。
エルスは母国に帰り「野生動物などを眺めているとホッとする」と言っていたことがある。南アのBIG 5(ライオン、ヒョウ、バッファロー、象、サイ)をすべて見られたら吉兆との言い伝えも。日本の七福神参りのようなものなのだろうか!?南ア選手たちの育った環境は、他国の選手と大きく異なっていると感じる。アフリカの雄大な景色、広大な農場で育ったシュワルツェルにとって、ゴルフ場のホールは時にミニチュアに感じられるのかもしれない。
■ 幻と消えたオーガスタでのブラーイ(BBQ)
前年マスターズ勝者がメニューを決め、歴代勝者をもてなすチャンピオンズ・ディナー。彼は南アを代表する料理“ブラーイ”と決めていた。ブラーイはアフリカーンス語由来の言葉で“バーベキュー”のこと。これ以外にない!と、まずはエルスがサポートする自閉症児童支援コンペで、参加者を“ブラーイ”でもてなしリハーサルを行った。本番のオーガスタでは、南アの実家から選りすぐりの鶏肉を送ってもらって自身が調理し、歴代勝者にふるまおうと気合いを入れて準備をしていた。ところがマスターズ委員会から「屋外はダメ。キッチンで調理できるもので」とまさかの通達に大ショックを受けたシュワルツェル。結局、メイン料理には、キッチンでシェフがグリルしたビーフ、ラム、ソーセージが厳かな雰囲気の中でふるまわれた。
■ 受け継がれるエルスとの縁
シュワルツェルの父親ジョージは養鶏場の経営者だが、元プロゴルファー。母国のサイモン・ホブデイ、デール・ヘイズらと時代を築いていきた著名選手だった。父はエルスが17歳の時に、母国開催の4ボールマッチにペアで出場し優勝。エルスは当時のことをこう振り返った。「ジョージは右も左もわからない未熟な僕に優しく、いろいろなことを教えてくれた。彼のサポートで穏やかにプレーができ、優勝もできた」と感謝していた。その後、ジョージは、アマチュアのステータスに戻って家業を継ぎ、結婚。そして長男シャールが誕生した。シャールは父の指導で一緒にプレーをするようになり、後にヘイズの父でインストラクターのオトウェイ・ヘイズに指導を受け成長していった。13歳の時にエルス主宰のゴルフ基金のメンバーに選ばれ上達。再びエルスとシュワルツェル家の縁がつながった。
■ 短気は父譲り
父は母国の著名選手だが、もうひとつ“短気”であることも有名だった。普段は穏やかなのだが、ゴルフの時だけなぜか熱くなる性分で、ミスをするとクラブをへし折ることも度々。シャールはいつも笑顔で、プレー中は温厚そのもの。だから父とは正反対の性格だと思っていた。だが、まさかの“ブチ切れ事件”が起こった。2013年7月18日、全英オープン初日のこと。3連続ボギーで迎えた15番2打目。またもミスをした彼は、持っていた6番アイアンを地面に叩きつけ破壊。その後のプレーで使用できなくなるという大失態をおかし、普段のシャールとは別人とも思える姿を露呈させた。この事件のあと、11年のマスターズの勝因について、「この“短気”を封印できたから」とも噂されたが、94年の全米シニアオープン勝者ホブテイは「シャールの成功は父親の短気より、母親の穏やかな性格の方が優り、才能にうまくマッチしたから」と笑いながら話していたことを思い出した。
今季は欧州ツアーですでに2勝と、複数回優勝に一番乗り。ポイントランクも4位と好位置につけ、年間王者に向けて快調な滑り出しを見せている。世界ランクも43位からトップ30に浮上し、大暴れの気配が漂ってきた。今季最大の目標、五輪代表選手になるためにもメジャーでの活躍は重要だ。シュワルツェルの成功は、感情のコントロールが鍵を握るかも!?
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。