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2015年 ウェルズファーゴ選手権
期間:05/14〜05/17 クエイルホロークラブ(ノースカロライナ州)

<選手名鑑157>ルイ・ウーストハイゼン(前編)

■ 見知らぬ男から「兄弟!会いたかった」 そのわけは…?

2010年7月、スコットランドのセント・アンドリュース・オールドコース開催の「全英オープン」で優勝したのが南アフリカのルイ・ウーストハイゼン(32)だ。2位のリー・ウェストウッドに7打の大差をつけての優勝は、全英史に残る圧勝だった。

身長178センチ、77キロと選手の中では小柄だが、彼のパワフルなプレーと美しいスイングは、強烈な印象を与える。その一方で、笑顔を見せるとGap-toothed(スキッ歯)で、どこかコミカルな印象を与えるのが彼の特徴でもある。そんな彼につけられたニックネームは心優しいアニメキャラクターの“シュレック”だ。強さと、周囲を和ませる魅力を持つ彼に重なるぴったりの愛称である。彼はとても気さくな人柄で、ギャラリーからも度々声をかけられる。米国のある試合で「兄弟よ、会いたかった!」と声を掛けられたウーストハイゼンは、『米国に兄弟はいないはず・・・』と近づいてみると、そこには同じスキッ歯の大ファンが。“兄弟”と応援したのは、歯列が似ているからだったそうだが、同組のロリー・マキロイはお腹をかかえて笑ったと言う。言われた本人も大笑いし、そのファンと固い握手を交わしたとか。

■ 才能の噂はエルスの元へ

1982年10月19日、南アフリカ共和国で農家の次男として誕生した。生まれ育ったモーゼルベイは、国の南端にある人口15万人の海辺の街。テニスのアマチュアプレーヤーだった父や兄弟の影響もあり、彼もテニスをしていた。そんな中、自宅近くのパブリックコースでプレーするゴルフを好むようになり、ジュニア時代から毎日のように通うようになった。そのコースは海沿いでいつも強風が吹き荒れ、幼い頃から、悪天候でもスコアをまとめる技術を身につけて成長した。少年時代に参加した同コースのクラブ大会で「57」、「59」という驚異のスコアを記録し、メンバーたちを仰天させた。ジュニアの試合でも活躍し、彼の評判は母国出身のヒーロー、元世界ランク1位でメジャー4勝のアーニー・エルスの耳にも届いた。

■ 世界へ導いてくれたアーニー・エルス

南アでは、ゴルフはマイナーなスポーツだったが、ゲーリー・プレーヤーの活躍と、ジュニア育成への尽力で、アーニー・エルスレティーフ・グーセンというメジャーチャンピオンが誕生した。エルスはジュニア育成の意思を継ぎ、才能あるジュニアを世界へ羽ばたかせることは自身のミッションだという信念のもと、1999年に“アーニー・エルスゴルフ基金”を設立。エルスは自ら足を運び、自分の目で少年たちを指導していた。噂の少年、ウーストハイゼンに会った時には才能を確信し、バックアップを申し出た。エルスが設けた施設は2005年から、ファンコートという5つ星リゾートの協力を得て、より充実した環境が整った。そこは甲子園球場の500倍近い敷地に、雄大なコースが3つ、トレーニング施設も完備している。

ウーストハイゼンは3年間、この恵まれた環境でゴルフの練習に励み上達した。エルスは海外遠征の費用の援助も惜しまなかった。2000年、ウーストハイゼンが18歳の時に、米国開催の「世界ジュニア選手権」で優勝を果たすと、19歳でプロに転向し、南アツアーで5勝と目覚ましい躍進を遂げてエルスを喜ばせた。プロになり、ライバルになってもエルスは公私に渡り、アシストし続けている。なぜ、そこまで?とエルスに問うと「米国、欧州へ行くのはフライトも過酷、費用も莫大。でも試合に出て行かねばならない。有望なジュニアを羽ばたかせるためにはより多くの賞金が必要。そのために自分のゴルフを磨かねばならない。実は自分の成長のためでもあるんだ」と。ウーストハイゼンら、エルス基金出身の選手はエルスの思いに応えようと奮闘した。2011年にはチャール・シュワルツェルが「マスターズ」で優勝、エルスも42歳で迎えた2012年の「全英オープン」で、10年ぶり2度目の優勝を飾った。

■ Louis“57”

20歳になって約2か月、2002年12月12日。その日のラウンドは人生を変えるプレーとなった。プロ転向直後、幼い頃からのホームコースであるモーゼルベイGCをプレーし、15アンダーの「57」を記録した。すべてのホールがインド洋に接し、強風が吹き荒れるタフなコースで、まさに“奇跡”とも言えるスコアをマークして、誰よりも彼自身が驚いた。このプレーは選手生活への夢、希望を抱かせ、自信を与えてくれるファンファーレのような経験となった。

彼のベストスコアだけでなく、同コースのレコードとなる数字は現在も破られていない。彼はあの日を忘れない、という思いをこめ“57”をあらゆるところで使うようになった。ホームページは「ルイ57」、設立した子供基金は「57ファウンデーション」、彼が営むスクールも「57ジュニア・アカデミー」、自身がワイナリーで醸造し、販売するワインも「57ルイ」。主催コンペも「ルイ・57・ウーストハイゼン」と・・・至るところに見られる。この先、ウーストハイゼンが「56」をマークしない限り、生涯大切に“57”を使い続けるだろう。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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