石川遼 マスターズ王者のキャディをスポット起用
2015年 シェル ヒューストンオープン
期間:04/02〜04/05 場所:ゴルフクラブ・オブ・ヒューストン(テキサス州)
<選手名鑑152>モーガン・ホフマン
■ スターの原石
PGAツアーでは2人のホフマンが活躍している。一人はロングヘアーをバッサリ切った38歳ベテランのチャーリー・ホフマン。そしてもう一人はモーガン・ホフマンだ。(二人は親戚でも兄弟でもない)。チャーリーはツアー3勝、今季メキシコ開催の「OHLマヤコバ・クラシック」で優勝を挙げている。モーガンは3月の「アーノルド・パーマー招待-」でも単独4位と実力、人気急上昇中の25歳だ。彼の印象と言えば「爽やか」のひと言に尽きる。ハキハキして気持ちがよく、笑顔が似合うナイスガイだ。
毎年5月に開催される第5のメジャー「ザ・プレーヤーズ選手権」は初出場の選手全員で記者会見を行うのが恒例で、昨年はクラブハウスの裏庭で行われた。まぶしいほどの陽射しが最高のライティングという舞台に選手が着席。その横にボランティアの子供たちが選手の名入りボードを掲げてセットは完了だ。取材に与えられた時間は約30分で、メディアはお目当ての選手のインタビューや撮影で駆け回る。中でも人気が集中したのは松山英樹とホフマンだった。僕はホフマンへ5分間のインタビューを敢行した。
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目標を聞くと「世界ランク1位とメジャー優勝」と即答したホフマンは、プロになるなら頂点を極めると心に決めていたそうだ。その後も各国のメディアからの取材に笑顔で応対し、その姿は“スターの原石”という雰囲気が漂っていた。生まれ育ちはNYCが通勤圏の米東部ニュージャージー州フランクリン・レイクス。ビレッジやSOHOが大好きで「年に10回以上もNYCへ買い物や食事に里帰りしているんだ」と楽しそうに話していた。
■ ツアーライフを120%楽しむ創意工夫“共同生活”
ホフマンは2011年、プロ転向ほどなくリッキー・ファウラーが購入したフロリダ州ジュピターの家でシェアハウス生活をスタートした。二人はオクラホマ州立大学のチームメイトで大親友でもある。当初のメンバーはファウラーがラスベガス時代から同居しているキャメロン・トリンゲール、そこにホフマン、さらにスコット・ラングレーが加わり、一時は4人で共同生活をしていた。ファウラーの家は“ゴルフ・ハウス”というより“アニマル・ハウス”と言った方がいいほど散らかっていたらしいが、寮生活の延長のような楽しい雰囲気で助け合い、励まし合ってツアーライフに馴染んでいった。新しいトレーニング方法や新開発の道具、スイングのテクニックなど貴重な情報を速攻でシェアできるなど、共同生活の好影響は全員に現れていった。
■ 自炊+BENTO
ホフマンにとって最も貴重だったのはレストラン情報だった。ファウラーは3年先にツアーに参戦し、各試合開催地の情報は大いに役立った。大きな試合の会場は、その週だけ各地から人が集まるためレストランの予約が困難で、予約がとれても極端に遅い時間になってしまうことが多い。とはいえ毎日ファストフードでは飽きてしまう。食事内容と夕食の時間帯は選手にとってかなり重要な問題だ。ホフマンは胃腸が強い方ではなく、昨年3月、今年1月も食あたりで棄権したことをきっかけに、食生活を見直そうと自炊をはじめた。滞在ホテルもキッチン付に変え、前夜には翌日の弁当の下ごしらえ。予約のストレスから解放され、野菜たっぷりのバランス食効果で成績もグングン上昇している。
■ ネパールで学んだ呼吸法
2011年大学卒業直後にプロ転向を果たしたホフマンは、翌12年ウェブドットコムツアーで賞金ランク19位になり、13年からPGAツアーに参戦した。12年にPGAツアーの出場権獲得に失敗した理由は、Qスクール(出場権獲得試合)の際にマウンテンバイクで転倒し右中指を骨折。最終日の欠場を余儀なくされたからだった。治療に専念していた頃、大学ゴルフ部の仲間ショーン・エインハウスと話す機会があった。彼はネパールのゴルフ基金へ支援活動していることを知った。ホフマンは2か月以上クラブを握れないことがわかっていたので、エインハウスに同行し、初めてネパールを訪問した。3週間の滞在の間、試合から離れて、無我夢中で支援活動に没頭した日々を送った。そんなある日、仏教の僧侶に会う機会があり、独特の呼吸法を学ぶ機会を得た。実践するたびに、気持ちに変化を覚え「心がまっすぐになった感じがする。(その影響か)プレーがステディになった」という。
■ テキサスなのにレゲエのノリで“66”
ホフマンは音楽も大好きで、特にプレーの時はノリの良い音楽がピッタリだという。作戦が大成功したのは、昨年5月の「HP バイロン・ネルソン選手権」2日目のことだった。開催地のテキサスはカントリーの本場だが、彼は“レゲエ”を選択した。キャディとともにジャマイカ人歌手アイニ・カモーゼのヒット曲を口ずさみながらプレーして“66”をマーク。18ホールをクラブダンス系レゲエのノリで突っ走った。大会3日目は“68”でプレーして優勝争いに名乗りを挙げると、ツアー初優勝の懸かる最終日は14番のパー4で、2打目を池に打ち込みダブルボギーを喫し、結局“73”を叩いて16位でフィニッシュした。最終日に失速したものの、彼の躍動プレーは強く印象に残った。
■ サバイバルの達人
昨季終盤、ホフマンは目を見張るプレーが続いた。125位まで参加のサバイバル戦プレーオフ(全4戦)に124位で滑り込み、上位30人のみが参加できる最終戦まで進出を果たした。プレーオフシリーズが始まった2007年以来、初の快挙だった。第3戦の「BMW選手権」3日目を“62”でまわり、会場チェリー・ヒルズCCの新記録を樹立スーパープレーで魅了した(それまでの記録は“64”で、大会2日目にセルヒオ・ガルシア、ライアン・パーマーが記録したが、これを一夜にして更新した)。ホフマンは同大会で単独3位となり、初のトップ30位入りを決めて最終戦「ツアー選手権」に進出。トップ30に入った段階で、「マスターズ」、「全米オープン」、「全英オープン」のメジャー3試合の出場権を獲得し、瞬く間にビッグチャンスを手に入れたのだ。今季も2週前の「アーノルド・パーマー招待-」で優勝争いを経験し、2015年春、スターの原石は輝きを増しはじめた。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。