フェデックスカップスポットライト:フィル・ミケルソンの巻
2013年 ノーザントラストオープン
期間:02/14〜02/17 場所:リビエラCC(カリフォルニア州)
<佐渡充高の選手名鑑 64>ビル・ハース
■ メジャーチャンプを破って優勝したビル・ハース
2012年の「ノーザントラストオープン」、最終組でスタートしたフィル・ミケルソン、キーガン・ブラッドリーに2打差と迫ったビル・ハースは、最終日の難コースを「69」でホールアウトした。通算7アンダーの単独首位で終えたハースは、最終組のミケルソンとブラッドリーのプレーを見つめていた。2人がバーディならば勝負はプレーオフへ持ち越しとなる。18番は難しいパー4で、バーディを獲るのは至難の業だった。ハースが圧倒的に有利な状態と思われたが、2人ともバーディを奪い3人のプレーオフとなった。ミケルソンはメジャー4勝、ブラッドリーは前年のルーキーイヤーに「全米プロ選手権」で初優勝を飾るという実績を持つ強豪だ。詰めかけたギャラリーからは、メジャーチャンピオンらしい大詰めのスーパープレーで大歓声が沸き起こった。流れや実績を考えれば、ハースがやや不利という流れの中、プレーオフ1ホール目は全員がパー。プレーオフ2ホール目は10番パー4で行われた。このホールはワンオンが可能なため、飛距離で有利とされるミケルソンとブラッドリーがリスクを恐れずワンオンを狙ったが、それが裏目に出て、ピンに寄せにくいところへ落としてしまう。一方、2打目を6メートルに寄せたハースは、しっかりとそのバーディパットを沈めてプレーオフを制したのである。パワーや積極性でコースをねじ伏せるのではなく、攻めと守りのバランスを考えたハースらしい優勝だった。
■ ゴルフ名門ファミリー
ハースは1982年5月24日、ノースカロライナ州シャーロットに、5人兄弟の次男として生まれた。ハース家はゴルフの名門ファミリーだ。父はジェイ・ハースで、PGAツアー9勝、チャンピオンズツアーの賞金王など数々の実績を誇る。叔父は「マスターズ」チャンピオンのボブ・ゴールビー、叔父のジェリー(父の弟)は元PGAツアーの選手で、現在はウエイクフォレスト大学ゴルフ部のコーチを務めている。同大学はアーノルド・パーマーの出身校でゴルフの名門校だ。優秀な学生はパーマー奨学金で学業もゴルフも学ぶことができる。タイガー・ウッズの姪シャイアン・ウッズも昨年、同校を卒業しプロ転向を果たした。ビルは奨学金で入学し、叔父の指導を受けながらテクニックを磨いていった。02年2年生の時は「全米アマ選手権」でベスト4に進出。04年4年生では5勝を挙げ、学生最高の賞ニクラス・アワードとベン・ホーガン・アワードを同時受賞している。
■ 親子で切磋琢磨
ハースの夢は、父や叔父のようにPGAツアーで活躍することだった。その目標となったのが現役でプレーしていた父のジェイだった。「全米オープン」などナショナルオープンにも積極的に挑戦し、03年オリンピアフィールドで行われた「全米オープン」でビルが予選会1位で通過し親子出場を決めた。1977年ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤー親子以来の快挙だったが、残念ながらビルは予選落ち。その翌年の「全米オープン」では、親子出場だけでなく、オープン史上2組目の親子通過を果たした。04年卒業と同時にプロに転向し、06年に初めてPGAツアーの出場権を獲得。初優勝まで4年かかったが、その「ボブ・ホープ・クラシック」は父が優勝した大会でもあった。親子で同一大会優勝は、トム・モリスSr.&Jr親子(全英オープン)、アル&ブレント・ガイバーガー親子、ジュリアス、ガイ・ボロス親子、ジョー・カークウッドSr.&Jr親子に次いで5組目と快挙となった。「父に追い付き追い越せ」を目標に頑張り、2011年には最終戦「ザ・ツアー選手権」で優勝を飾ると、逆転でフェデックスカップ年間優勝まで成し遂げた。兄のジェイJr.もプロゴルファーでPGAツアーを目指すが、なかなか出場権を獲得できていない。最近ではビルのキャディを務めるなど、強力なサポートに回ったことは心強い。通算4勝のうち2勝がカリフォルニア州。父を追い越す目標を掲げるハースのプレーは今年も注目だ。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。