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22年「プレジデンツカップ」会場 クエイルホロークラブの歩み
米国選抜は歴史的大差で勝利した「ライダーカップ」を終え、2022年には世界選抜をホームに迎えて「プレジデンツカップ」を戦う。会場はPGAツアー「ウェルズファーゴ選手権」、17年の「全米プロゴルフ選手権」を開催したノースカロライナ州シャーロットのクエイルホロークラブ。PGAツアーのライター、ジム・マッケイブ氏が当地の歴史をひも解く。
クエイルホロークラブとハリス父子のビジョン
シャベルがまだ土の中にあり、設計図を頭に描いていたとき、ジェームズ・ジャクソン・ハリスは、ノースカロライナのシャーロットにあるクエイルホロークラブの荘厳とは言わないまでも大きなビジョンを持っていた。
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「特定の大会をイメージしたわけではありませんでしたが、設計家のジョージ・コッブには『ナショナルイベントにもふさわしいコースと施設を造りたい』と伝えたのです」と、ハリスは1968年のシャーロットニュースに思い出を語っている。
周囲にはそう考えた人はほとんどいなかったが、ハリスにはまだ若かった息子のジョニーという切り札があった。ジョニーは父親の足跡をたどっただけでなく、それ以上に大きなビジョンを広げていた。
ナショナルイベント? いや、インターナショナルイベントであるべきでは?
2021年の「プレジデンツカップ」の開催地がクエイルホロークラブに決まった15年、ジョニー・ハリスは「夢が叶った」と語った。父親のレガシーが今も残るクラブは1961年にオープン。ジェームズ・ハリスは85年に亡くなったが、これから始まるショーに天国できっとうなずいているはずだ。
新型コロナウイルス感染拡大により、「ライダーカップ」と「プレジデンツカップ」はともに1年先送りされた。ジョニー・ハリスとクエイルホローのメンバーはすでに米国選抜と世界選抜チームを迎える準備ができている。「シャーロット、そしてカロライナのファン。プレジデンツカップを愛する世界中の皆さんのために、大会を成功させるべく全力を尽くすことを楽しみにしています」
ロリー・マキロイの輝き
クエイルホロークラブにおいて最も輝かしいのは、ロリー・マキロイ(北アイルランド)の記憶だろう。当地でのPGAツアー「ウェルズファーゴ選手権」で過去に3勝(2010、15、21年)。リッキー・ファウラーに一度プレーオフで敗れた(12年)が、まるでロリーが自分のために建てた家のようでもある。
2010年大会は若きロリーのパワーと特別な何かが、彼にとってのPGAツアー初勝利を呼び込んだ。21歳の誕生日の2日前の出来事である。サンデーバックナインを1イーグル、4バーディの「30」で締めくくり、フィル・ミケルソンを4打差で下した。「62」というスコアは忘れられないものだが、15年第3ラウンドの「61」、21年最終ラウンドまでの「66」「68」「68」も実力だった。
アーノルド・パーマーの存在
マキロイがクエイルホローを得意コースにする以前にも、当地を有名にした別のゴルファーがいたことも確かである。ジェームズ・ハリスに「クエイルホロークラブのようなコースがシャーロットにはふさわしい。僕がPGAツアーの大会をここに持ってくる」と約束したのは、1960年代に人気絶頂だったアーノルド・パーマーだった。
クエイルホローはパーマーによって「ケンパーオープン」(1969―79年)の開催地となり、トップ選手を惹きつける会場になっていった。トム・ワイスコフは71年、73年、77年に優勝。現在のマキロイのような活躍を見せたのだった。「ケンパーオープン」はその後、シャーロットを離れたが、83年から89年はPGAツアーチャンピオンズ「ワールドシニア招待」を開催した。
パーマーとクエイルホロークラブとの関係は深く、ハリス親子との友情に加え、シャーロットで力を持つキャデラック社とスポンサー契約を結んでいたことも大きかった。15番ホールの脇に家も持っていた。また、コッブの元来のレイアウトと試練を与えるデザインを引き継いだまま、3番、7番、9番、17番の改修にも携わっている。
パーマーがオーランドのベイヒルクラブで卓越した存在感を見せたように、ジョニー・ハリスもまたクエイルホローでリーダーシップを発揮した。ジェームズから引き継いだクラブは政治とは無縁で、その場所の意味を決して忘れなかった。
「平らでシンプルなゴルフクラブだ」とジョニーは『リンクスマガジン』で一度語っている。「スロープレーヤー以外はどんな選手も差別しない」
ジョニーは彼の父親やパーマーと同様、オーガスタナショナルGCのメンバーでもあり、コースを絶えず改良し、コンディションを保つ彼らを尊敬していた。クエイルホローが2003年「ウェルズファーゴ選手権」でPGAツアーのスケジュールに戻ってくるまでに、コースはトム・ファジオによって長く、難しく、硬くと進化を重ねていた。
恐怖のグリーンマイル
コースで注目すべきはドラマチックなフィニッシュにある。ワンオンが可能な14番、左ドッグレッグの上りになる15番(パー5)。そして、「グリーンマイル」と評されるようになった上がり3ホールについて言及されると、ハリスは笑顔になる。グリーンが池に囲まれた16番。アイランドグリーンとまではいかないがターゲットが極めて小さい17番(パー3)。そして左にクリーク、右にバンカーと木々が並ぶ18番は屈指の難所だ。
クエイルホロークラブと「ウェルズファーゴ選手権」が名声を勝ち取ったのは、ビジェイ・シン、ジム・フューリック、タイガー・ウッズ、アンソニー・キムといった名選手たちが2005年から08年のあいだに優勝し、マキロイがハットトリックを成し遂げ、ファウラーがプレーオフで衝撃的な勝ち方をしたからである。17年にはジャスティン・トーマスが「全米プロゴルフ選手権」で素晴らしい優勝を飾った。
「全米プロ」がクエイルホローの評判を確固たるものにしたなら、「プレジデンツカップ」ではどうなるかと周囲は騒がしい。2022年は「ウェルズファーゴ選手権」がメリーランド州TPCポトマックで開催されるため、主催者には対抗戦に向けた準備時間が十分ある。
米国選抜はウッズ、ミケルソンの時代から、ジョーダン・スピース、パトリック・カントレー、ザンダー・シャウフェレ、トーマスらが中心のチームに変貌する。一方の世界選抜はオーストラリアのキャメロン・スミス、チリのホアキン・ニーマン、メキシコのアブラム・アンセル、韓国のイム・ソンジェといった若手選手が台頭中。松山英樹、ルイ・ウーストハイゼン(南アフリカ)、アダム・スコット(オーストラリア)のようなベテランと融合するだろう。
世界選抜のキャプテン、トレバー・イメルマン(南アフリカ)は2008年「マスターズ」で優勝。率いるチームの全体像はまだ分からない状態だ。しかし、この舞台が大舞台になることだけは分かっている。「クエイルホローは特別な場所です」。イメルマンは2006年「ウェルズファーゴ選手権」でフューリックにプレーオフで敗れている。「選手であればみな、あのコースの完璧なコンディション、そしてあの場でのチャレンジが大好きだ」
そう、60年前にジェームズ・ハリスが思い描いた通りだ。