2024/11/22国内男子
史上希な6人プレイオフ:2001年「ニッサン・オープン」を振り返る
2002/02/14
ニュース
1940年代にこのリビエラCCを制したベン・ホーガン氏に敬意を表して、彼の銅像がクラブハウス前に飾られている。昔はリビエラCCの別名は「ホーガン・アレー」(ホーガンの遊び場)と呼ばれていた。しかし1980年代から90年代中頃までこのリビエラCCで暴れたのはフレッド・カプルスだった。
20参戦中、2度の優勝(90年・92年)、3度の準優勝と、これ以外のトップ10入りが4回。これだけ相性の良いカプルスとリビエラCCだけに、昨年の「予選落ち」は周囲に衝撃を与えた。また17年続いてた予選通過記録が途絶えた年でもあった。カプルスはシアトル生まれだが、リビエラが大好きだという。
フレッド・カプルス「最初にプレーした時にシアトルに似ていて精神的に安心しながらプレーできるコースだから大好きなんだ。」その精神的な安定のおかげか、カプルスはキャリア最高スコアの(62)もこのリビエラで出している。(90年優勝時)。