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引退する戦友へ 宮里優作×岩田寛×清田太一郎 同級生トーク(後編)

―岩田選手はその後、大学で宮里選手と一緒になって……
岩田 いや、まだ早い。続きがある。
宮里 焦っちゃダメよ。
岩田 太一郎は高校生のころに、プロの試合にも出た。優作はプロの試合には出ちゃいけないと高校で決まっていたけど。大学に入った時、太一郎が、プロの試合でいいところに行ったのがすごい刺激になったって優作が言っていたんです。
宮里 うん、言ったと思う。
岩田 ちなみに優作は大学1年生の時に、病んでました。調子悪くて。
宮里 1年生の時、全然ダメでね。茶髪にしたなあ。

―宮里選手はチームメートになった岩田選手のことをどう思っていましたか?
清田 正直に言った方がいい、正直に(笑)
岩田 えー…傷つかない程度で……。
宮里 ハハハ。(東北福祉大のゴルフ部は)寛のお父さんの練習場で、練習もさせてもらっていたんだけど、最初、全然しゃべんなかったから。
岩田 ゴルフのレベルで言うと、恐竜とアリでした。僕がアリ。
宮里 寛は本当にしゃべんなくて。その中でも、ポロッと言うことがおもしろかった。でも、合宿とかで一緒に回る機会があるんだけど…寛はすぐキレるの(笑)。
岩田 人はね、変わんないんですよ。
清田 成長しない。ホントに(呆)
宮里 僕の中ではもう、それもおもしろくて。見ていて「なんでキレんのー!」って(笑)
岩田 太一郎とは4年生の最後、九州の試合で初めてしゃべった。マッチプレーでぶつかって。記憶だと…オレは練習台にされていた。次の相手が優作だったから。パットを外しても、ぜんぶ“OK”を出されるんですよ。で、最後にバーディを取られて、負け、みたいな。踏み台です。アリと恐竜です。
清田 僕は大学生の時、マッチプレーの団体戦なんかでは、とにかく優作とやりたくて…。日体大の監督の許可も得て、東北福祉大の監督に「自分に優作くんを当ててください!」って、ゴリ押ししに行っていたくらい。普通は内緒にするところなんだけど、とにかく挑戦したかった。

1980年4月2日から81年4月1日に生まれた人々を、世間は“松坂世代”と呼ぶ。1998年夏の甲子園。横浜高校を率いた松坂大輔投手を筆頭に、その後のプロ野球界ではこの世代のホープたちが広く活躍した。一方、プロゴルフの世界では宮里と岩田はプロ転向後、初優勝までに10年以上を要し、海外でもアダム・スコット(オーストラリア)、ジャスティン・ローズ(イングランド)といったスターが、メジャー制覇を遂げるまでの時間は周囲の期待よりもずっと長かった。同世代のアスリートのキャリアはいま、晩年に差し掛かり、あるいはすでに第2の人生を歩み始めた者も多い。引退する清田は大阪で実家の運送業を継ぐという。その一方で、残された男子プロゴルファーたちは円熟味を備え始めたところ。彼ら3人の今後とは。

―高校生の時から皆さんは「松坂世代」と呼ばれました
宮里 「松坂世代」であることを僕は昔から楽しんでましたね。彼らと同い年なだけで、なんかスゴイだろうって(笑)
岩田 僕も野球は好きなんで、甲子園はずっと見てましたし、不思議と同い年のスポーツ選手は気になりました。
宮里 そういえば、大ちゃん(松坂)が、中日に行くというニュースを見て…。ようこそ…と(※宮里は現在名古屋に住んでいる)
岩田 1月に入団テスト受けるってね。

―プロ入りしてから宮里選手、岩田選手は初優勝までに時間がかかりました。下の世代に“抜かれていく”現実をどうとらえていましたか?
宮里 僕は基本的にはうまい人を見たら、話を聞きに行っちゃうタイプなので。うらやましいな…と思うのもありましたけど、なんでそこまでできるんだろうと。(松山)英樹とか、(石川)遼も、すごいなと。だから、年上、年下なんか関係なく、話を聞きに行く。
岩田 「カーッ!」と思ってましたよ(笑)。彼らは刺激になりました。僕もトレーニングをするようにもなったし。彼らは、それだけやってんだなって。
清田 年下の子だと、英樹くんもそうですけど、(藤本)佳則くんにはびっくりした。彼のアプローチのタッチが大好きで。今年、小平(智)くんと今平(周吾)くんと「ツアー選手権」で一緒に回った時も楽しくてしょうがなかった。
岩田 太一郎は昔、周吾にボールを当てられてますからね。周吾がまだアマチュアだった時。
清田 懐かしいね(笑)。試合で一緒に回っていて、彼が木の近くから打ったボールが、フェアウェイの真ん中にいた僕にワンバウンドして当たったんだ。
岩田 周吾に聞いたら『清田さんに当てて、フェアウェイに置くしかないと思っていた』って言ってました。『(清田の)硬いところに当たれば、グリーンまで行くと思った』って。
宮里 絶対ウソだろ!
清田 でもあいつ、そこからパーを取ったんだから、大したもんだよ。そういう選手と同じ舞台でもう少し戦いたかったなというのは今でもある。
宮里 昔の世代は年上だろうが、年下だろうが、現場ではケンカもしていたらしいんで。倉本さんなんかも、青木さん、ジャンボさんに突っかかっていったりしたみたい。みんなスポーツマン。そういう選手が多いのは良いことだと思う。

―年代的には中堅からベテランの域に入ってきました。宮里選手、岩田選手も「引退」について考えることはありますか?
宮里 今年は…身近な藍ちゃん、太一郎もそうなったから。いつか来るのかなと考えました。体が続く限りはやろうと思っているけれど、どういう引き際がいいとかは。
岩田 そうね、そういうのは考えちゃう。

―引退を決めた清田選手には唯一の心残りが。
清田 そうなんです。プロ入りをしてから、優作くんと一度も一緒に回ったことがなかった。
宮里 そうなんだよね…。
清田 妻にもそう言ったら「それ、おかしすぎるでしょ!?」って言われて(笑)。今年は練習ラウンドでいろんな選手と回るようにしていたんだけど、最後は仲が良いだけじゃなく、心から尊敬できて、「これがプロの最低ラインだな」と思わせてくれる選手と回りたいと思っていたんです。同級生なら、このふたり。今年、夏場の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」で、水曜日に午前中にハーフを回ってきた後、優作に「ハーフ、一緒に回らないか?」って言われたけれど…僕は月、火曜日と1ラウンドずつ回っていて。そのペースで回ると、初日からオーバーヒートしてしまう。また、そういう機会があるだろうと思いつつ…そこで断ってしまった。その後もチャンスがあったんですけど、いかんせん僕は恥ずかしがり屋で。振り返れば、(プロ入り後)ふたりで鳴り物入り、と騒がれて、自分が変に距離を作ってしまったところもあった。人間ができていなかったんだ。
宮里 太一郎は引退する。けれど、これで終わりだとは思っていない。ゴルフだけが人生じゃないんだ。第2の人生を歩んでも、僕はいつでも会いたいと思うし、またゴルフができる間柄でありたい。家族もいるから、ゴルフで培った経験を第2の人生に生かして、幸せになってほしい。僕らだって、遅かれ早かれ、そうなるはずなんです。だから(引退を)悲観的にはとらえない。太一郎の刺激になるように僕は頑張る。寛の刺激になるようにも頑張る。同級生が頑張るとね、すげえ楽しい。体が続く限りやっていきたい。
岩田 ふたりがプロデビューしたのは22歳。それから一緒に回っていないっていうんで、50歳になって、3人で回れたらいいなと思います。その時には太一郎のケガもたぶん治っているから。でも、僕が早生まれ(1981年1月)なんで、1年遅くなりますけど。
清田 僕は現役を退いたけれど、ゴルフが好きなんで。いちゴルフファンとして、今はふたりを見ていてすごく楽しい。若手で良い選手がいっぱい出てきて、特に今年はまれに見る激しい賞金王レースだった。それで同級生の優作くんが若手の壁となって、劇的に賞金王になった。昔のジャンボさんみたいに、若手の前にいつまでも立ちはだかってほしい。本当に、純粋にそう思います。そして…できれば、海外で活躍するところを見たい。そうしたら、僕も頑張ろうと思えます。
岩田 太一郎は実はシニアを目指しているそうです。トラックで来るんじゃないですか。
清田 なんで…。でも、試合でなくてもいつか一緒に回りたい。こういう場で、率直に気持ちを言わせてもらってうれしかった。電車で、ひとりで泣いて帰ります(笑)

<終わり>

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