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15歳の石川遼が劇的初V 現地取材者の証言/2007年5月20日

13年前の2007年5月20日、日本のゴルフ史に新たな1ページが刻まれた。岡山県の東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで行われた「マンシングウェアオープンKSBカップ」で、高校1年生の石川遼がアマチュアとしてツアー初出場で初優勝。15歳245日のツアー最年少優勝の快挙を成し遂げた。劇的な勝利で日本のゴルフ界が変わった日を、当時大会インタビュアーを務めたゴルフキャスターの薬師寺広さんの証言を交えて振り返る。

■「奇跡」を生んだバンカーからの一打

日曜日の最終ラウンド、17番(216yd/パー3)。「奇跡が起こるかもしれません」。中継した当時KSB瀬戸内海放送の多賀公人アナウンサーは、石川がバンカーからチップインバーディを決めると興奮気味に実況した。白のウエアに赤色のズボンが映える石川が、怖いモノ知らずの攻めで単独トップに立つとギャラリーの期待感も膨れ上がった。

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薬師寺さんは放送センターでそのシーンを目の当たりにした。「えっ?本当に奇跡が起きるのか」と胸の高なりを抑えきれなかった。第1打を3I で打ち、「絶対に入れてはダメ」というグリーン左奥のバンカーに入れ、左足下がりの難しいショットを残した。「普通ならボギーでも仕方ないという場面ですよ。『ついにプレッシャーかな』と周りの人と話していたんです」。それがどうだ。下り傾斜をつたった球はピンフラッグに当たりカップに沈んだのだ。

「みんなビックリですよ。石川選手がバンカーに入れたときに映像はトップに並んだ宮本勝昌プロに変わっていた。ただあれを決めちゃうんだから“持っている”よ。裏ではJGTO(日本ゴルフツアー機構)も僕らもてんやわんや。世界中で15歳が勝った例はあるのか、と」

■プロツアー初挑戦の大会は異例の進行に

石川はこの大会の予選会に出場したが本戦進出を逃した。ただその予選会でアマチュアトップの成績だったことなどが主催者に評価され、推薦枠でツアー初挑戦が叶った。

大会は、初日が暴風のため途中中断でノーゲーム。金、土曜に予選ラウンドが行われ、決勝ラウンド進出者を40人程度に絞ったうえで、最終日の日曜日は組み替えなしの36ホールで争われる異例の変則日程に。最終ラウンドを前に、第2ラウンドの豪雨中断後、再開合図よりも早くプレーしたとして片山晋呉伊澤利光谷原秀人が失格となる事態もあった。

アマチュアでただ一人予選を通過した石川は、決勝ラウンドを久保谷健一立山光広と第1組(午前6時30分)で出て、第3ラウンドを「69」でプレー、首位の小田孔明に4打差の9位につけた。薬師寺さんはカメラマンとともに石川のもとに急いだという。

「目をしっかり見て話してくれる爽やかな青年だな、という印象でした。(最終ラウンドを前に)『まだまだ伸ばします』と元気よく言っていたので『どのくらい』と聞いたら『5打くらいです』と。すごい高校生だと思いましたよ」

石川は最終ラウンドの前半を終えて3打伸ばし、15番を終えて宮本や高山忠洋を1打リード、小田や宮里優作を2打リードする単独トップにいた。「オーラみたいなものを感じましたね。会場は新たなスター誕生を心待ちにしていた。どんどん上がっていく高校生の攻めるプレーを(観客が)堪能している雰囲気でした」。並ばれて迎えた17番のバーディで通算12アンダー。指笛や拍手が響くなか石川はバンカー内で両手を突き上げた。

■「ハニカミ王子」誕生の由来

「こんなことあるんですか。鳥肌が立つようなシーンですが、ここ一番で何かを見せるというのはスターになる大切な要素です。東児が丘の王子がいま誕生しようとしています」。多賀アナウンサーの実況を、薬師寺さんは「“東児が丘の王子”というのは、この土地のある伝説です」と解説を加える。コースがある玉野市にある“王子が岳”という岩山に8人の王子が住んでいたという言い伝えがあり、同市出身の多賀アナウンサーがそれを踏まえた名調子だったのだという。

薬師寺さんはクラブハウスリーダーでホールアウトした石川と少しだけ話をし、その後の運命を放送センターで見守ったという。「あの17番があったから(勝てたの)です。すごい一打を打ったとしても勝つか、勝たないかで人生は変わる。勝つために必要な運勢でしたよね」。後続の先輩プロが伸ばし切れなかったこともまた、強運だった。優勝は最終組の宮里聖志が18番(パー5)の2打目を刻んだ時点で決まった。

石川はいま、当時を「ありえないくらいの運ですね。僕が上がったときに6ホール、7ホール残している選手がいっぱいいた。(自分は)まず勝たないだろうと思っていた。やり切った満足感が僕のなかではすごかった。いま自分がまったく同じ状況に立ったら、すぐにプレーオフのための練習に行く。でも(その時は)ロッカーで何もしなかった」と振り返る。

薬師寺さんは優勝決定直後のテレビインタビューを鮮明に覚えているという。「最後に『どんな選手になりたいですか?』って聞いたんです。『世界中のみなさんから好かれるような強いプロゴルファーになりたいです』と答えてくれた。そして番組が終了する本当に直前、多賀アナウンサーが『奇跡を起こした東児が丘の王子は、笑顔が素敵なハニカミ王子でもありました』と実況したんですよ」

その後、社会現象になった“遼くんフィーバー”はこの日から始まった。

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