パリ五輪代表争いは「全米OP」で決着 松山英樹と久常涼を追いかけるのは?
「舗装された道」から切り開いた“ツネルート”/久常涼インタビュー
去る2023年、久常涼は新たな扉を開いた。9月に「パリ五輪」会場でもあるル・ゴルフ・ナショナルで行われた「カズーオープンdeフランス」を制してDPワールドツアー初優勝。青木功、松山英樹に次ぐ日本勢史上3人目の欧州ツアー制覇を成し遂げると、年間ポイントレース(レース・トゥ・ドバイ)で上位に入り今季のPGAツアー出場権を獲得した。新天地での戦いを前に単独インタビュー。謙虚な21歳に迫った。(取材・構成/服部謙二郎)
2試合連続予選落ち→初優勝 「たまたまです」
パリでの最終日、一時は首位と6打差あった久常のスイッチはバックナインで入った。12番からの2連続バーディでトップタイに浮上。「リーダーボードを確認して、あと1個、2個、抜けられれば自分にチャンスがあると思った」と勢いづき、15番で3mを沈め、17番では7Iでピンそば2mにつける会心の第2打からバーディ。「ただ、ガムシャラにやっていた」と猛チャージで歴戦のプロたちを振り切った。
<< 下に続く >>
「攻め続けたことが良かった。池がたくさん絡んでいたりする、すごくタフなコース。そういったところで逃げずに、アグレッシブに攻めていけたことが良かったんじゃないかと」
21歳になったのがその2週前(9月9日)。バースデーウィークは「アイルランドオープン」で予選落ち。翌週、つまりフランスの前週は英国での「BMW PGA選手権」でも決勝ラウンドに進めなかった。
「どちらも欧州のトップ選手、PGAツアーでプレーしている選手が戻ってきた大きい大会。いつもの欧州ツアーよりもレベルが高い印象がありつつ、自分も頑張りたいという思いから、空回りしたのが原因だと思っていて。求められていることに対して自分がちょっと足りず、噛み合わないことが多かった。でも、あまりネガティブに捉えることなくできたので、優勝に繋がったのかなと」
22年秋の予選会を通過して参戦した欧州ツアーでのルーキーイヤー。同大会までにトップ10に6回入り、待望のプロ初優勝をフランスのナショナルオープンというビッグタイトルで飾った。それでいて本人は「まあ、たまたま。運ですよ」と、あっけらかんと言うのだ。
日本の下部ツアーからホップ、ステップ…
「びっくりですよね。夢だったPGAツアーにすぐというか、プロ転向して4年目で行けるのは、ちょっと正直、驚きが多いです。新たな扉を開けたのは自分の中でも大きい」
日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームの一員としても将来を嘱望された久常には、プロ転向直前に思わぬつまずきがあった。作陽高(現・作陽学園高)3年時の2020年、日本ツアーの出場権を争う予選会でまさかの“1次(ファースト)落ち”。「QTで失敗して、まったくステータスがないところから」キャリアは始まった。
スタート時の「QTランク1212位」という“背番号”は実力で捨て去った。初年度の21年、国内下部ABEMAツアーで3勝を挙げ、同年秋にはレギュラーツアーに昇格。「正直、もう目の前の試合のことしかずっとやっていなかった。多少は『何歳までにこうなる』とは思っていましたけど、具体的な数字にはこだわっていなかった。それが良い形になった感じで、ガムシャラにやっていただけ」
ジュニア時代からの海外志向に拍車がかかったのは、激動の真っ只中にいた21年の秋。「ありがたいことに(主催者推薦で)ZOZOチャンピオンシップに出させてもらって。PGAツアーの選手とも会う機会が多くあって、自分とのレベルの違いをすごく感じました。どうやったらその差が埋まるんだろうと考えた時に、やっぱり海外にいないとそこは埋まらないのかなと思ってしまった自分がいた」。その週、関係者を通じて、練習ラウンドで初めて一緒に回った松山が優勝した記憶が今も頭には鮮明にある。
欧州の苦労も「舗装された道」を歩めた
胸の中を刺激でいっぱいにしたまま、久常は未勝利のまま日本ツアーを早々に飛び出した。「初めての国に行くことが多かったので、本当に分からないことだらけでした」という未知の世界での戦いは、毎日は苦労ばかりのようで、楽しさが上回る時間だって多かった。
「(出国して)最初の1週間はしんどいです。やっぱり日本食が恋しくなったりして。日本だと本当にいつでもどこでも、自分の好きなものがパッと思い浮かんで、おいしいものが食らべられますけど、(外国では)バリエーションが少ないというか。でも、それもすぐ慣れるので。欧州にもおいしいご飯はいっぱいあります。スペインで食べたパエリアも。自分はそういったところは楽しめていた。日本のコンビニは便利ですけど、海外にもスーパーはありますし、日本食を買えるお店もありますから」
「(海外で)日本のありがたみがすごく分かった。日本ツアーは本当にすごく良いツアーだと思う。サポート面が充実している。欧州本土ならそういうサポートもすぐ受けられますけど、やっぱリDPワールドツアーというぐらい、世界中を回るので。場所を問わずに行くという意味ではやっぱり、ちょっと大変なところもありました」
異国の生活で困ったとき、悩んだとき、ルーキーの隣にはいつも先輩プロがいた。欧州ツアーで5年に渡ってシードを守っている川村昌弘とは、関係者を通じてプロ入り直後から縁があった。他の多くのアニキたちからも“ツネ”のニックネームで親しまれている。
「僕は川村さんに本当ずっとお世話になってきました。最初は本当に川村さんを目指して、追いかけて欧州に行きました。今度はPGAツアーには松山さんがいらっしゃいます。いろんなツアーに日本人の先輩がいる。僕はそこを追いかけていくだけなので。舗装された道を僕は歩いているだけ。欧州ツアー(の道のり)も川村さんが先に歩いて、キレイな道になっていたんです」
大西洋経由でPGAツアーへの切符をGET
足もとが先輩たちによってならされた道であると考えようとも、久常自身がまさに開拓したルートがあるのも事実だ。3年前、日本の下部ツアーで年間3勝してレギュラーツアーに昇格した初の選手になり、昨年はPGAツアーの出場資格が付与される欧州ツアーのランキング上位10人(有資格者を除く)の枠に日本人で一人滑り込んだ。
実績に反して21歳は自分を厳しく見続ける。成長の実感は「正直なところ、あんまりなくて…」とすら言う。「だって日本ツアーに帰ったところで、全然(良い)結果が出てないじゃないですか。3試合、東建(ホームメイトカップ/23位)、ISPS(HANDA/予選落ち)、日本オープン(45位)とトップ10に入ってない。やっぱり足りてないですよね」。世界を巡りながら技術面で手ごたえがあったのはティショットの精度くらい。「フェアウェイをとらえられるのが多かったかな、周りの選手と比べて」。一方で「やっぱりアプローチや100yd以内の精度が、自分は全然レベルが足りていない。マネジメントもそうです」
米国でのルーキーイヤーはまず、開幕2戦目「ソニーオープンinハワイ」(1月11日~ ワイアラエCC)からの3連戦を予定。限定された出場機会からサバイバルレースを戦い抜く。「(目標は)まずはやっぱりシードを取ること。1年間を戦いきる上で、来年、再来年と、ずっとPGAツアーで戦う上で大事になる。まだ始まったばかり。本当に、これからがまた始まりみたいなものなので、そこに向かって頑張っていければいい」。次の新しい環境にもすぐに慣れそう。「やることは一緒なんで。出たとこ勝負でいきます」(笑)。ただひたすらに、ガムシャラでいることだけは決めている。