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コロナ禍のニューヨークシティ 思い出の半裸ゴルフ体験
2020/04/22 12:20
コロナウィルス感染の中心地となってしまったニューヨーク市は、1990年代半ばに大学院生として3年間を過ごした地。その後も、MLBの本部やヤンキース、メッツなど、仕事で何度も再訪した、思い入れのある街である。幸い、私の知人・友人はいまのところ無事で、ほっとしている。お金持ちの友人のほとんどが、ロックダウン前に街を脱出しており、残っているのは、残らざるを得ない人たちばかりだと言っていた。
クオモ知事が、感染者に占める黒人とラテン系が突出して多く、ウイルス感染が改めて貧富の格差を浮き彫りにしていると指摘していたが、これも格差大国、アメリカを象徴する話である。そういえば、在住時に頻繁にプレーしたニューヨーク市内のパブリック・ゴルフ場はどうなったのだろう。
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ニューヨーク市内にはいくつかパブリックコースがある。とりわけ重宝したのが、地下鉄で行けるVan Cortlandt(バン・コートランド、略してバン・コー)とDyker Beach(ダイカー・ビーチ)だ。どちらもグリーンは凸凹、フェアウェイは雑草が大半を占め、穴ぼこだらけ。平気でタバコを投げ捨てるものだから、ボヤがでることしばしば。ブラインドショットをするとかなりの確率でボールが消える(盗まれるのだ)。
いつも混雑していて、週末ともなるとスルーなのに7時間ラウンドを覚悟。劣悪な環境だが、車がないニューヨーカーがゴルフをするにはここしかないのだ。日本のような宅配便システムがないアメリカでは、ゴルフバッグを担いで地下鉄に乗って行く。もっともこれを日本に置き換えると、東京23区内に“本物のゴルフコース”があるわけで、とても贅沢な環境だともいえる。
バン・コーのプレー料金は30ドル前後(電動カートはプラス15ドル前後)と財布に優しかった。現在はどうかとネットで検索してみたら平日43ドル、週末53ドル、カート代は37ドルと、だいぶ値上がりしているが、同市の物価上昇を鑑みれば良心的といえよう。デフレ日本では、この四半世紀、物価が変わっていないが、アメリカは、インフレと経済成長で物価は2倍以上になっている。ちなみに、私が住んでいたstudio(要するにワンルーム)の家賃は当時750ドル、いま2500ドルである。
バン・コーの思い出は沢山あるが、なかでも脳裏に焼き付いているのは、渡米してまもなく、確か初夏の頃だったと思うが、快晴の昼下がりにプレーした日のことだ。“おひとりさま”の私は、同じように1人で来ていた大学生、メキシコ系のおじさん2人と組まされて、大渋滞のスタートホールの列に並んだ。こういうとき、日本人なら人目を気にして、そそくさと打ってセカンドショットに向かうところだが、アメリカ人はそういうことを気にしない。「ファ〇ク!」と吐き捨てながら、ゴルフバックからボールを取り出し、3発目のティショットを打とうとした若者に、後ろの組の白人の中年男性が「オー・マイ・ゴッド!」と罵声を浴びせている。
そんな険悪な雰囲気も、数ホール後にやってくる爽快感できれいさっぱり忘れることができた。のろのろとラウンドが進んで西日傾く午後、ビールを飲みながらの散歩と雑談の合間にショットをしているうちに、同じ組の大学生がシャツを脱いで上半身裸になった。私もメキシコ系のおじさんも「いや~、気持ちいい!」と追随した。大の男が4人、上半身裸でのラウンド、思い出すと今でも笑みがこみあげる、忘れられないひとときだ。
そんなバン・コーも、ロックダウンの対象となり、3月22日から閉鎖されている。友人によれば、こっそり忍び込んでプレーしているゴルファーも少なからずいるそうだが…。青空のもと、堂々と裸でラウンドできる日が一日も早く来るよう祈っている。(小林至・桜美林大学教授)
- 小林至(こばやし・いたる)
- 1968年生まれ。江戸川大学教授を経て、2020年4月から桜美林大学(健康福祉学群)教授。92年、千葉ロッテにドラフト8位で入団。史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。93年退団。翌年からアメリカに在住し、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)取得。2002年から江戸川大学助教授となり、05年から14年まで福岡ソフトバンク球団取締役を兼任。「パシフィックリーグマーケティング」の立ち上げなどに尽力。近著に『スポーツの経済学』(PHP)など著書多数。