フィルを支える弟ティム・ミケルソンが明かした「もうすぐ勝てる」
2021年 全米プロゴルフ選手権
期間:05/20〜05/23 場所:キアワアイランドゴルフリゾート・オーシャンコース(サウスカロライナ州)
23年前にもらったサイン ミケルソンはファンを愛し、ファンに愛される
大会前、どれだけの人がこの結末を予想できたでしょうか。50歳がメジャーで勝つという史上初の大偉業。フィル・ミケルソンは誰にもできなかったことをやってのけたのです。
興奮のるつぼと化した18番グリーンで見せた静かなガッツポーズ。2004年「マスターズ」制覇の瞬間に見せた大ジャンプを筆頭に、本来は感情表現の豊かな選手です。それだけ必死に高ぶる自分を抑えて戦っていたのだと思います。
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2日目でトップタイに並び、3日目には単独のトーナメントリーダーに。しかし、振り返ればメジャーで驚異的な勝負強さを見せてきたブルックス・ケプカが忍び寄り、「マスターズ」を勝ったばかりの松山英樹選手をはじめ、若く脂の乗った猛者がうじゃうじゃ。
また、キアワアイランドゴルフリゾート・オーシャンコースはひとつ歯車が狂っただけでボギー、ダブルボギーが止まらない、「全米オープン」に勝るとも劣らない超ハードセッティングでもありました。一瞬たりとも気は抜けません。
熱狂するギャラリーに気持ちをつられることなく、冷静に戦い抜くという鋼の意志。自分が勝つんだという信念。誰よりも強い思いを胸に秘め、それを完璧に遂行したからこその“らしくない”リアクションだったと感じます。
アマチュアでPGAツアー初優勝を飾ったのが1991年ですから、世界中の才能が集まる最高峰の舞台で活躍し続けること30年。クラブの進化に合わせてスイングへの理解を深め、いつまでも柔軟さを失わない思考でコースマネジメントや練習方法に工夫を凝らし、歩みを止めることはありませんでした。
特に変化を実感するであろう自分の体との向き合い方もユニークです。年齢を重ねるごとに1ラウンドを通した集中力の維持が難しくなってきたと思ったら、1日に36ホールや45ホールをプレーして18ホールの“体感時間”を短くしようとしてみたり。1年ほど前からかけるようになり、すっかり板についてきたサングラス姿も、一説には視力低下を補う狙いがあるとされています。
膨大な時間の積み重ねは、すべてゴルフを愛しているからこそ。松山選手も「マスターズ」優勝後の帰国会見で「努力と言われれば努力ですけど、ゴルフが好きで、うまくなりたい、試合に勝ちたいという気持ちでやっている」と話していました。“仕事”と割り切るだけでは、あそこまで追究できません。偉大なプレーヤーたちの原動力はシンプルで、純粋です。
思い起こせば、僕が初めてサインをもらったプロゴルファーがミケルソンでした。1998年、高校2年生でカリフォルニア州サンディエゴへ1カ月の短期留学をしていたときのことです。ことし6月の「全米オープン」会場でもあるトーリーパインズGCで開催された「ビュイックインビテーショナル(現・ファーマーズインシュランスオープン)」にはタイガー・ウッズ、世界一の飛ばし屋ジョン・デーリー、翌年飛行機事故で急逝したペイン・スチュワートといったスーパースターが勢ぞろい。
その中でも、前年「マスターズ」でメジャー初優勝したウッズと地元のミケルソンの人気は別格。18番の上がりを待ってサインを求めるギャラリーが数百人規模で殺到していました。「ミケルソンは待っていたら全員にサインしてくれるから」。同行していた方の言葉に背中を押されて期待半分で飛び込み、キャップを持った右手を必死に伸ばしました。熱気と興奮でどれくらい待ったかも覚えていませんが、目が合ったミケルソンが笑顔でサインしてキャップを返してくれたときの感動は色あせることなく残っています。
サービス精神の塊、真のプロフェッショナル…あの日抱いた印象は、僕が松山選手のキャディとしてPGAツアーに参戦した時間を経ても変わりません。スコアが良くても悪くても、雨が降っていても、ファンの求めに応じてサインすることを欠かさない背中を見てきました。
カップへと向かうボールを後押しした大声援。数々のレジェンドたちがなしえなかった金字塔は、長年ファンを愛し続けたミケルソンだから起こせた奇跡のようなストーリーではないでしょうか。(解説・進藤大典)
- 進藤大典(しんどう・だいすけ)
- 1980年、京都府生まれ。高知・明徳義塾を卒業後、東北福祉大ゴルフ部時代に同級生の宮里優作のキャディを務めたことから、ツアーの世界に飛び込む。谷原秀人、片山晋呉ら男子プロと長くコンビを組んだ。2012年秋から18年まで松山英樹と専属契約を結び、PGAツアー5勝をアシストした。