川村昌弘のプロフィール&戦績
2021年 ヨハネスブルグオープン
期間:11/25〜11/27 場所:ランドパークGC(南アフリカ)
「いま僕はココにいます」Vol.131 日本で強制隔離篇
人は彼のことを“旅人ゴルファー”と呼ぶ。川村昌弘・28歳。2012年のプロデビューから活躍の場は日本だけでなく、ユーラシア大陸全土、そのまた海の向こうにも及ぶ。幼い頃から海外を旅することこそが夢で、キャリアで巡った国と地域の数は実に70に到達。キャディバッグとバックパックで世界を飛び回る渡り鳥の経路を追っていこう。
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プロゴルファーの川村昌弘です。
いま僕は、成田にいます。
南アフリカで流行中の新型コロナウイルスの新たな変異種オミクロン株で、欧州ツアー(DPワールドツアー)は大騒ぎになりました。ニュースが世界中を駆け巡った11月下旬、僕たちはまさに南アでの試合に出場中。すったもんだの末に急きょ日本に帰国し、空港近くの強制隔離施設に滞在しています。検査結果は陰性でした。今年最後のコラムは今回のドタバタ劇をお届けします。
ヨハネスブルグ近郊での「ヨハネスブルグオープン」で2022年シーズンが開幕したのが11月25日(木)のこと。当初は同大会から南アで3連戦が行われる予定でしたが、その夜に新株の危険性が報じられるや否や、最終日を中止して27日(土)までの3日間で実施されることが決定。その時点で試合を途中棄権して国に帰る選手も多くいたのです。
結局現地は悪天候が続き、全選手が54ホールを終えられないとの判断から、競技は土曜日までの36ホールに短縮されました(個人的には計42ホールを終えた辺りでトップ10にいたので残念…。最終結果は12位でした)。
さらに3連戦の2試合目「南アフリカオープン選手権」は主催から欧州ツアーが外れて南アフリカツアーの単体開催になり、3試合目「アルフレッド・ダンヒル選手権」は中止に。欧州ツアーの選手たちはみな、母国や拠点に帰ることになりました。
ところが、です。選手・関係者およそ120人がいっせいに搭乗する予定だったツアーのチャーター機が到着地のアラブ首長国連邦(UAE)・ドバイで上陸を拒否されて、キャンセルに。ヨハネスブルグで足止めを食らい、それぞれが南アからの出国方法を探すことになりました。僕とキャディのメグさんはまず、オランダ・アムステルダムの経由を考えましたが、チケットを購入できても、欧州圏のパスポート以外では乗れないことが発覚。最終的にはヨハネスブルグからケニアのナイロビ、カタールのドーハで乗り継いで、成田に降り立ちました。ナイロビの空港では約9時間の待ち時間を強いられるなど、ヨハネスブルグを出てから約1日半の長旅でした。
南アに滞在していたことで、僕たちは成田空港から国の指定する隔離施設(ホテル)に送られ、10日間の待機に入りました。部屋から一歩も外に出られません…。朝、昼、晩の3食はドアの外にお弁当が届けられます。出国前、入国直後の検査がいずれも陰性でも、帰国から3日後、6日後、10日後に検査を実施します。
実は施設での強制隔離は初めてではなく、今年「3日間」を経験しました。「6日間」を避けるために、英国からの帰国を断念したこともありましたが、まさか最後の最後に「10日間」になるとは…。変異種の国内流行を防ぐために当然の措置ではありますが、施設を出た後も自宅での自主隔離となるので、しばらくゴルフはできそうもありません。
新しくタイトルスポンサーが変わったツアーの新シーズンが、前途多難な始まりでなんとも残念。南アの次週以降の大会も、選手たちは「良いコースだから楽しみだな」と普段から話すような試合でした。
ただし、世界中を旅する仲間たちがオミクロン株騒動で混乱したかと言えばそうでもなく、開催中止が決まり「何日か南アに取り残されるかもしれないね」なんて話をしつつ、みんな深刻な様子はありませんでした。欧州ツアーには「ヨーロピアンツアーツアートラベル」という転戦をサポートしてくれるチームも日ごろから助けになってくれます。ロングフライトになった僕も、本来ならもう何日か出国できない状況も覚悟していたので、思っていたよりもスムーズに帰って来られたというのが本音です。
来年は1月20日にUAEで始まる「アブダビHSBC選手権」でシーズン再開、中東での連戦で始まります。感染対策を徹底して、年明けに無事に出国できることをまずは祈ります! 2021年も応援ありがとうございました。
- 川村昌弘Masahiro Kawamura
- 1993年6月25日・三重県生まれ。5歳の時に父と一緒にゴルフを始め、小学生時代には全国大会の常連選手に。ジョーダン・スピースやジャスティン・トーマスらと出場したフランスでのジュニア大会をきっかけに将来の海外転戦を夢見る。高校卒業後にプロ転向し、2013年に20歳で出場した日本&アジアン共同主管大会「アジアパシフィックパナソニックオープン」でツアー初優勝を飾り、海外進出の足がかりを得た。
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