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2016年 RBCカナディアンオープン
期間:07/21〜07/24 場所:グレンアビーGC(カナダ)

<選手名鑑207>ビジェイ・シン(前編)

■ 半世紀ぶり!最年長優勝記録に最接近

PGAツアーの最年長優勝記録はサム・スニードの52歳10カ月8日。今からさかのぼること51年前、1965年のウィンダム選手権で達成された記録だ。当時の選手寿命を考えれば驚異的な年齢だ。50歳以上のシニアがプレーするチャンピオンズツアーが存在し、PGAツアーでは若手が次々に優勝を飾る現在においては、現実的でない年齢と言っていい。ところが今、この記録に幾度と迫る選手が一人いる。現在53歳のビジェイ・シンだ。優勝すればその時点で記録更新となる。6月にドキドキさせる展開があった。全米オープン翌週、タイガー・ウッズ主催のクイッケンローンズナショナルで、シンは通算14アンダーまでスコアを伸ばし、優勝のビリー・ハーレーIIIに3打差まで迫る単独2位。シンの情熱やパワーは衰えを知らない。最終18番ホールではなんと351ydドライブで、年齢を感じさせない豪打を披露した。

同大会は米PGAツアーデビューとなった92年のメモリアルトーナメント以来、16年、584試合目と息が長い。その間に通算34勝、そのうち、40歳を過ぎてからが22勝、2位は28回目。この2位で今季の全英オープンの出場権まで獲得し匠のプレーを続けている。

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記録更新の可能性があったのはその試合だけではない。1月第3週ソニーオープン初日も7アンダーの首位タイ発進。2日目もスコアを1つ伸ばし首位のブラント・スネデカーに4打差の好位置。3、4日目はスコアを伸ばせなかったが、上位陣に迫るプレーだった。昨年8月には51歳のデービス・ラブIIIがウィンダム選手権で優勝するなど、50代の洗練プレーも要注目。スニード記録の更新は今後も大いに期待を集めそうだ。

■ シニア入りは70歳? 53歳の今も実力でシード権獲得

シンは1963年2月22日、フィジー生まれの53歳。2013年にチャンピンズツアー(シニア)の出場資格を得て、9月ハワイのカポレイGCで行われたパシフィックリンクスハワイ選手権でデビューした。首位に2打差で最終日を迎え、デビュー初戦で初優勝の好機をつかんだが、終盤でダブルボギーを叩き、6位タイで優勝を逃した。それでもフル参戦を果たせばベルンハルト・ランガーの好敵手になることは間違いない。ところが、10月からPGAツアーが開幕すると、シンの姿がフィールドにあった。彼はチャンピオンズツアーに本腰を入れる気はまったくなかったのだ。2013年から出場資格を得たものの、毎年2、3試合しか出場せず、今季までの4年間でわずか8試合。一方、PGAツアーへは50歳を過ぎてからも毎年20試合以上に出場し、ポイントランクも2014年以降、シード権枠内の125位をキープし続けている。今季もすでに125位以内を確定させ、来季も続行する予定だ。

シンは20勝以上の選手に与えられる生涯シード権を獲得しているが、125位以内のシード選手枠での参加は実力の証明。“53years young”なシンがシニア入りするのは70歳ごろかもしれない。

■ 屈辱の経験 アジアンツアー追放

ほとばしるようなパッションの源は、過去の出来事にあった。フィジーでの幼少期は家族6人が一部屋で暮らし、8歳でゴルフに出会った。トム・ワイスコフのレッスン書を手本に練習を積み、17歳の頃にはフィジー最強のゴルファーを自負するほどに成長。プロとしての成功を目指し豪州ツアーへと旅立ったが、現実は甘くはなかった。予選落ちが続き、借りた資金は底をついて1年足らずで撤退。「周りの選手と比べるたらハンディ5」と自信喪失で新たにスポンサーを探し、資金を得てアジアンツアーからの再出発を始めた。

84年のマレーシアPGA選手権で念願のプロ初優勝。実力が開花し始めた矢先の翌85年4月、インドネシアオープンで2年間のアジアツアー追放処分を受けた。理由は同伴競技者に過少申告を指摘され、協会はそれを重大視。シンは最後まで無実を主張したが認められなかったのだ。汚名を着せられた彼に残された道はフィジーに帰国、プロゴルファーを断念するしかなかった。だがこの一件は、24年後の08年に誤解が解け名誉回復。同年3月4日、アジアンツアーの名誉メンバーにも選ばれた。

■ 昼はゴルフクラブ 夜はナイトクラブ

どん底の時期も努力を続ける彼に、拾う神が現れた。ある支援者がクラブプロの職を紹介し、ゴルフで生計を立てられることになった。メンバーへのレッスン、クラブの修理、コース整備など忙しく日々を過ごし、その生活に感謝しつつも「このままでいいのか?」という思いも抱くようになっていった。それから2年後の87年、クラブプロを辞め、南アフリカのサファリツアー挑戦を決意。同時に欧州での経験、特にリンクスコースの経験を積むために、夏季はスコットランド行きを敢行した。着の身着のまま、クラブだけを持参しスコットランドのエジンバラへと旅立った。

昼は練習、夜は滞在費を稼ぐためナイトクラブの用心棒として働いた。190センチの眼光鋭いシンが立っているだけで、相当の威圧感があっただろう。夜10時から午前4時まで、ナイトクラブに勤務し、仮眠後の朝9時からプレーと練習の日々を送った。同年の全英オープンはミュアフィールドでの開催で、予選会に参加したが失敗。武者修行の甲斐あって88年のナイジェリアオープンで優勝し、賞金を獲得した。この出来事で自信と資金を得て、人生を大きく転換させた。ビジェイ・シンのVijayとはヒンズー語で“Victory”を意味し、その名のごとく、ビクトリー・ロードへと歩みだした。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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