光明が差した時(1) /ペイン・スチュワート
2014年 RBCヘリテージ
期間:04/17〜04/20 場所:ハーバータウンGL(サウスカロライナ州)
<佐渡充高の選手名鑑 115>エリック・コンプトン
■ 奇跡のゴルファー
エリック・コンプトン(34)は今年3月の「アーノルド・パーマーインビテーショナル」で優勝にあと一歩の5位タイと奮闘した。自己ベストの4位タイ(2013年「ザ・ホンダクラシック」)には及ばなかったが、彼の激闘に僕は心から拍手を贈った。3月末の「バレロテキサスオープン」2日目は、予選通過がほぼ確実のポジションにいたが、体調悪化で無念の棄権。悔恨の思いに後ろ髪を引かれながらも、彼の場合、無理をすれば命の危険に直面する可能性がある難病を抱えており、棄権は仕方のない決断だった。コンプトンは2度に及ぶ心臓移植手術を受けながらもPGAツアーでプレーする、“奇跡のゴルファー”なのだ。
■ 最年少12歳で最初の心臓移植手術
1979年、フロリダ州マイアミで、父ピーター、母エリ、2歳上の兄クリスチャンの4人家族の中に生まれたコンプトン。少年時代は大リーガーを夢見る元気な少年だったが、、突然、心臓発作で倒れ救急搬送された。原因は難病のうっ血型心筋症だった。生命の危険にさらされた彼は、同州のジャクソン記念病院で最年少となる12歳で心臓移植手術を受けた。術後の経過は良好だったが、スタミナ面で野球やフットボールなど激しい運動は困難を極めた。手術から6週間後、父と一緒にゴルフに出かけたことがきっかけで関心を持ち、半年後にはユタ州で開催された移植手術を受けた人たちのコンペに出席。そこで楽しくプレーする人たちの姿に感銘を受け、ゴルフの猛練習を開始した。メキメキと上達したコンプトンは、1年後には自分でバッグを担ぎジュニアの試合に出場するまでとなったのだ。
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■ 名コーチ、ジム・マクリーンとの出会い
コンプトン家をさらなる悲劇が襲った。92年のハリケーン・アンドリューで実家は全壊に近い状態に。1年後、ようやく落ち着いた先は「WGCキャデラック選手権」の開催コースで知られるドラールの3番ホール脇に建つタウンハウスだった。そこで巡り合ったのが100人以上のトッププロの指導に携わるコーチ、ジム・マクリーンだった。彼はドラールにスクールを持っており、コンプトンは指導を仰ぎ、術後4年でハンディ+2まで腕を上げた。5年後には全米トップアマチュアに成長し、奨学生としてジョージア大学に進学した。
■ 2度目の心臓移植を乗り越え、夢舞台PGAツアーへ
彼に初めて会ったのはジョージア大学の練習場だった。学生たちは芝から打てる素晴らしい練習環境で黙々と練習を行っていた。しかし、1人だけベンチに座り練習を眺めている学生がいた。それがコンプトンだった。仲間たちと同じペースでの練習は難しく、その時彼は「体を休めている」と言った。同大学の監督クリス・ハックは「近くに良い病院があるので安心して彼をスカウトした。特別扱いはせず他の選手と同じように接している」と言い、真剣な眼差しで彼を見守っていた。
大学3年の時に学生リーグでの成績が評価されPGAツアーに推薦出場。予選通過を果たし、72位でフィニッシュした彼は、大手術をした体力でもツアーでプレーできる手ごたえを得た。ハックはバッバ・ワトソン、ラッセル・ヘンリーら多くの選手を育て、今年で19年の名監督。コンプトンもハックの的確な助言で卒業後すぐにプロの世界へ羽ばたいた。しかし1日に約15種類以上の薬を服用し、週に1度の検診を受けながらの転戦は厳しく、ドクターストップで欠場、棄権も度々・・・。プロになって6年後に再び心臓発作で倒れ、翌年、12時間にも及ぶ2度目の心臓移植の大手術を受けた。彼は再び奇跡的な回復を見せ、執刀医も「プロレベルでプレーするアスリートに戻るとは驚異」と興奮したほどだった。
■ シャープなショットに魅了
コンプトンは身長175センチ、体重73キロと選手の中では小柄な体格だ。2度の心臓移植を受けた体なのが信じられないほど、シャープなアイアンショットが持ち味だ。ドライバーも昨季は292.7ヤードで、ランク54位となかなかの豪打を放つ。世界トップレベルでプレーするための努力や工夫は、ファイトやガッツなどという生易しい言葉では言い尽くせない。マーク・カルカベッキア、カーティス・ストレンジらメジャー優勝者たちを支えたスーパーエージェントのピーター・マリクに出会い、選手活動のノウハウ、基礎を築けたことも幸運だった。カナダツアーやミニツアーで経験を積み、2011年に下部ツアーで初優勝を果たすと、賞金ランク13位に入り、翌2012年のPGAツアー出場権を獲得。今季も世界最高峰の夢舞台で奮闘を続けている。
■ 昨日はヒストリー 明日はミステリー
コンプトンの目標は2つ。自身の活躍、そして話題になることで臓器移植についてより多くの人に関心を持ってもらうことだ。母エリはノルウェー出身(コンプトンは米国、ノルウェーの二重国籍)で、独語、仏語など5ヶ国語に堪能な語学を生かし、臓器移植への理解、ドナーを必要とする人たちのために財団を設立し活動を続けている。親友のカミロ・ビジェガスやジム・フューリックらも賛同し、夢に一歩一歩近づいている。2009年にアルゼンチン出身のバーバラと結婚、愛娘も3歳になり私生活の幸せにも恵まれた。
米スポーツ誌の「最も感銘を受けたアドバイス」という記事でコンプトンは、ジャック・ニクラスのテニスのコーチからもらった言葉を挙げていた。「過ぎ去った昨日はヒストリー、そして明日はミステリー」。だから彼は今日を、この一打を愛おしむように大切に生きている。彼は子供たちへのサインに必ず「Dream Big !」と書き添える。その言葉を胸に彼はチャレンジを続けてきたからだ。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。
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