タイガー・ウッズもミケルソンを祝福「本当に感動した」
56歳9カ月6日 “記録なき”日本の最年長優勝/残したいゴルフ記録
国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献により男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録として紹介。今回は、ツアー記録に残されなかった1971年の最年長優勝を振り返ります。
ツアー制開始の2年前に生まれた快挙
今年の「全米プロゴルフ選手権」を制したのは50歳11カ月のフィル・ミケルソン。ジュリアス・ボロスが保持していた48歳4カ月のメジャー最年長優勝記録を53年ぶりに塗り替え、メジャー史上初となる50代優勝に沸いた。ミケルソンの初優勝は、当時20歳のアマチュア、アリゾナ州立大2年で出場した1991年「ノーザンテレコムオープン」。それから30年が経ち、50歳を過ぎても活躍を続けるミケルソンのすごさに会場が驚きと称賛に包まれた一瞬、コロナ禍であることを忘れさせてくれた。
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だが、その記録がすごければすごいほど光を当てたい快挙が、日本のゴルフ界にもあった。1971年の公式戦「関西プロゴルフ選手権」で、戸田藤一郎が打ち立てた最年長優勝記録である。56歳9カ月6日。ミケルソンの記録を6歳も上回っている。だが、ツアー施行前の達成とあり、残念ながらツアー史には公式記録として残されていない(ツアー記録は尾崎将司の55歳241日/2002年「全日空オープン」)。
1971年の「関西プロ」は大阪・箕面ゴルフ倶楽部で行われ、戦前の予想は「ここは杉原(輝雄)有利」が圧倒的だった。戸田はひざの痛みと白内障に苦しみ2カ月ぶりの参戦。体力的にも不利との下馬評だったが、初日から3日間続けて「68」と好調なプレー。これに33歳の若手トップ、前年覇者で5度目のタイトルを目指す杉原が食い下がり、2人によるマッチレースとなった。
そして最終日、戸田は「69」で通算15アンダーに伸ばし、連覇が懸かっていた杉原を下した。まさか最後まで持たないだろう。このあたりの空気は、今回のミケルソンの4日間にもあった。同組のブルックス・ケプカは、メジャー4勝のうち「全米プロ」で2勝(2018、19年)だ。2年余りもツアーで勝てていないミケルソンが完勝するとは…。本当にゴルフはわからない。
戸田は1914(大正3)年11月22日生まれ。日本ゴルフ発祥の地、六甲を仰ぐ兵庫・神戸ゴルフ倶楽部の麓、青木(おうぎ)で生まれた。少年キャディを経て広野GCでプロ入り。160センチの小兵だが、パンチショットを武器に通算18勝を挙げ、うち15勝はメジャー(関西プロ5勝、日本プロ4勝、日本オープン2勝、関西オープン4勝)である。狭い日本を関西と関東に二分して、“何がメジャーだ”と決めつけると、日本のプロゴルフ史を見誤る。当時は箱根山を挟み、最速の特急列車で移動に12時間かかった時代。関西と関東は、かつてのスコットランドとイングランドにも似た、対抗意識むき出しで競り合っていた。それぞれが切磋琢磨して、年一回の「日本オープン」と「日本プロ」で雌雄を決する。そんな時代であった。
戸田の初優勝は、当時18歳だった1933年の「関西オープン」。最後に優勝した56歳までの38年間は、初優勝から最後の優勝までの最長記録であり、ミケルソンを8年間も上回る。戸田は日本プロゴルフ界、伝説の名手であることをミケルソンが改めて教えてくれた。(武藤一彦)
- 武藤一彦(むとう・かずひこ)
- 1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。