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後世に残したいゴルフ記録

色あせぬ快挙 19歳のメジャー最年少優勝/残したいゴルフ記録

2020/06/20 17:05

国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献により男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録として紹介します。

アマ主導の時代に見せたプロの意地

第2回「日本オープン選手権」は、1928(昭和3)年5月26、27日の両日、東京・駒沢の東京ゴルフ倶楽部でアマとプロ7人ずつの14人が出場。1日36ホール、2日間72ホールのストロークプレーで行われ、プロの浅見緑蔵が2位に7打差をつけて優勝した。前年の第1回大会はアマの赤星六郎が優勝。「プロは何をやっているんだ」とお叱りを受けたプロたちだったが、プロの面目を浅見が晴らした形となった。当時19歳。「日本オープン」およびメジャー大会の最年少優勝記録として、いまも破られていない。

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大会は、第1回(神奈川・程ヶ谷コース)優勝のアマ・赤星が出場せず、2位は安田幸吉、4位は越道政吉と、トップ10にプロ6人が食い込んだ。第1回大会ではアマが大活躍し、赤星が2位の浅見に10打差、3位の宮本留吉に11打差をつけて圧勝。4位には、こちらもアマで赤星兄弟の兄・四郎が入り、プロはこてんこてんに負かされた。時代はアマ主導。プロは全く歯がたたなかったのだ。それが、第2回大会を境にそれまでの劣勢に終わりを告げたという点で、まさに時代の転換点。以来、「日本オープン」でのアマ優勝はない。

優勝時は“数え年” 20歳Vとして報道

浅見は1908(明治41)年8月20日、東京・駒沢村(現在の世田谷区深沢)に生まれた。駒沢といえば東京ゴルフ倶楽部。浅見は少年キャディとしてゴルフと出会い、高等小学校を卒業後、15歳で横浜・保土谷の程ヶ谷カントリー倶楽部に入社。18歳でヘッドプロになった。

当時、日本の年齢基準は“数え年”で表記されていたため、新聞などでは「弱冠20歳の最年少チャンピオン誕生」と称賛された。しかし、この記録はその後、日本に“満年齢”が取り入れられたことで「19歳(9カ月7日)の最年少優勝」に訂正。そのため浅見の記録は「日本オープン最初の10代チャンピオン」「史上初のプロチャンピオンは19歳」と時代を経てさらにその価値が上がり、もてはやされ、現在に至るという珍しい事例になっている。

浅見は同年の11月「日本プロ選手権」(兵庫・鳴尾ゴルフ倶楽部/12人出場)でも、宮本と安田幸吉を1打差で下し、日本最古の2大公式戦タイトルを手中にした。その時の20歳3カ月10日も、大会の最年少優勝記録として長く保持し続けている。

ちなみに、男子ツアーの最年少優勝記録は、石川遼の2007年「マンシングウエアオープンKSBカップ」の15歳8カ月3日。松山英樹も11年「三井住友VISA太平洋マスターズ」で、10代優勝(19歳8カ月17日)を飾っている。(武藤一彦)

武藤一彦(むとう・かずひこ)
1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。

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