「ザ・メモリアルトーナメント」リーダーボード
2024年 ザ・メモリアルトーナメント
期間:06/06〜06/09 場所:ミュアフィールドビレッジGC(オハイオ州)
PGAツアー初優勝から10年 松山英樹の“メモリアル”からの足跡
松山英樹は2014年「ザ・メモリアルトーナメント」でPGAツアー初勝利を飾った。10年の時を経て、ことし2月に「ジェネシス招待」で9勝目をマーク。節目の年に、今週再び“メモリアル”の舞台ミュアフィールドビレッジGCに帰ってきた。PGAツアーのChuah Choo Chiang氏はオリジナルコラムで10年に渡る松山のツアーへの影響について記した。
昨年「全英オープン」で優勝したブライアン・ハーマンの記憶には、12年前、仲間のPGAツアー選手とともに、あるアジア人選手の将来を見誤ったことが刻まれている。2012年1月の「ソニーオープンinハワイ」。日本のスポンサー推薦を受けて出場した選手のプレーを見て、彼はもう一人の同伴競技者だったマット・エブリーと囁き合っていた。
<< 下に続く >>
「あちこちにカメラマンがいる中でプレーしていた彼は、ティイングエリアで何回かダフっていた。マットと『この子はダメだろうな』と話したんだ。ずっと緊張しっぱなしだったみたいで、やっぱり予選落ちだった。まったく良いプレーができていなかったから、どう考えても彼がうまくいくとは思えなかった。その子の名前は…松山英樹と言った」
今や松山はPGAツアーでアジア人最多の9勝をマーク選手である。その数はハーマン、そしてエブリーより4勝以上多い。2021年には「マスターズ」で歴史的な勝利を飾り、グリーンジャケットに袖を通した。だからマットと話したんだ。なんて俺たちは見る目がないんだ…って(笑)」
一方、メジャー通算18勝のジャック・ニクラスは当時から、この新星がゴルフ界に特別なものをもたらすと信じていた一人だった。松山が「ザ・メモリアルトーナメント」でツアー初優勝を挙げてからちょうど10年が経つことし、大会ホストを務めるニクラスは「彼が勝ったとき、これからもっと勝つはずだと言っただろう」と当時を思い起こして言った。
「彼はここで勝つ前から素晴らしい選手だった。そもそも良い選手でなければ、ここには来ていなかったんだけどね」。プロになる前にアジアパシフィックアマチュア選手権で2勝した実績もあったことも見逃せない。
ツアーで73勝をマークしたニクラスは全盛期、青木功や尾崎将司、尾崎直道といった日本のトップゴルファーたちと戦ったが、松山を「最強」と評価している。彼が驚くのは、松山の前には言語の壁や食べ物、文化的な違いがありながら、米国で地位を確立したことだ。「言葉の違う国から来て、長い間生活するのは大変なこと。彼はそれをうまくこなして、マスターズや他の大会にも勝ってきた。きっとメジャーもまだ勝つはずだ」
10年前の勝利をきっかけに、松山はアジアで最も多くのタイトルを獲得したゴルファーになった。ことし2月、タイガー・ウッズがホストする「ジェネシス招待」で9勝目。首位に6打差で迎えた最終ラウンドで「62」をマークして試合をひっくり返し、通算8勝で並んでいたチェ・キョンジュ(韓国)を勝ち越した。松山は今週の大会までに通算254試合で9勝、7回の2位、40回のトップ5入りを果たしている。生涯獲得賞金はPGAツアーの歴代12番目の5000万ドル超に上る。
オーストラリアのアダム・スコットは、2013年の「ザ・プレジデンツカップ」で松山の指南役を担い、4マッチでペアを組んだ。当時から日本とアジアでの松山の影響力を称賛してきた選手で、10年前のメモリアルも同じフィールドで優勝争いをしていた。
「きょうは勝てないだろうと思った時から、ヒデキの応援に回ったんだ。彼が大きなステップを踏むのを見てみたかった。終盤に素晴らしいプレーを見せて、まさにやってのけたんだ」
松山はその後、活躍を続けて世界ランキング2位にまで上り詰めた。けがを理由に苦しんだ時期を経て、マスターズでは日本人選手として初のメジャー優勝者になった。全てのショットが日本のメディアに注目される様子からは、ゴルフ熱の高い日本での期待の高さがうかがえるとスコットは言う。「彼は多くのプレッシャーにうまく対処してきた。実績は驚くべきものだし、彼が長い間、コンスタントに活躍してきた様子は過小評価されることもあるだろう。彼がやってきたことを多くの人は誇りに思うべきだ」
日本では今、彼を先輩として仰ぐ若い選手たちの勢いが目覚ましい。1983年、日本人選手として初めてPGAツアーで優勝した青木功は久常涼や中島啓太、蝉川泰果、金谷拓実といった、松山を追う選手たちの台頭が日本のゴルフ界に新しい時代を呼ぶと考えている。「松山選手の後を継ぐゴルファーはきっとたくさん出てくる」
称賛と名声を獲得してきた松山だが、彼はスポットライトを浴びることを好まない。「これまでやってきたことを考えるよりも、一生懸命練習して、プレーしたいだけなんです」と本人は言う。「ツアーに入って10年。自分の人生は少しずつ変わった。そういう意味では、今は充実している。あと10年、20年と練習を続けたい。メジャーでまた優勝できるように頑張りたいし、いつか日本人選手と優勝争いができたら最高なんです」