「自分の招いた結果」米ツアーカード喪失の石川遼は再起誓う
2位2回で優勝なし 石川遼の米ツアー戦歴
石川遼の米国ツアーデビュー戦は、プロ転向2年目の17歳で出場した2009年2月「ノーザントラストオープン」。145試合に出場し、優勝はない。2位は2012年の「プエルトリコオープン」と14年の「シュライナーズ for チルドレンオープン」の2回。トップ10フィニッシュは11回だ。
■ 2012年
推薦出場した3月「プエルトリコオープン」で単独2位。累積の獲得賞金額により、無制限で年間のツアーに出場できる「スペシャル・テンポラリー・メンバー」に。その後も賞金加算を続け、「賞金ランキング125位相当」の条件をクリアして。ツアーメンバーに昇格した。
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■ 2013年
本格参戦1年目にルーキーへの洗礼が待ち受けていた。23試合に出場したフェデックスカップランクは141位に終わり、同125位以上に与えられる翌年シードを逃す結果に。それでも、初めて臨んだ下部ツアーとの入れ替え戦(4試合)で上位に入り、14年シーズンの出場権を確保。持ち前の底力を発揮した。
■ 2013-14年
2年目は、シーズン序盤の「シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン」で2位に入った。3回のトップ10を決めるなどフェデックスカップランク72位に入り、初めての米ツアーシード権とプレーオフ進出を決めた。
125人が出場するプレーオフは4試合が組まれ、2試合目からポイントランク上位100人、70人、30人と選手が削られていくノックダウン方式。石川は初戦の「ザ・バークレイズ」を19位で終えたものの、第2戦「ドイツバンク選手権」は予選落ちに終わり、第3戦に進めなかった。
■ 2014-15年
苦戦続きの1年となり、翌年のシード圏外となるフェデックスランク130位でレギュラーシーズン最終戦「ウィンダム選手権」へ。カットライン上の52位で辛くも決勝ラウンドに進むと、最終日に「66」とチャージをかけて31位フィニッシュ。フェデックスランク124位で圏内に滑り込み、2年連続でシード権を保持した。プレーオフは初戦(66位タイ)で敗退した。
■ 2015-16年
2月に発症した腰痛の影響でツアーを長期離脱し、わずか6試合の出場でシーズンを終えた。9月には、欠場した20試合を翌シーズン(16-17年)に持ち越せる公傷制度の適用が認められた。競技には7月の日本ツアー「日本プロゴルフ選手権」から復帰。2戦目の8月の「RIZAP KBCオーガスタ」で優勝を飾った。
■ 2016-17年
2016年10月の「CIMBクラシック」でツアー復帰。翌17年8月の最終戦「ウィンダム選手権」まで20試合を戦い、フェデックスランク175位とシード確保から遠い位置でレギュラーシーズンを終えた。
入れ替え戦には13年以来となる2回目の出場。4試合の賞金ランキング上位25人(すでに出場権を持つ25人を除く)に来季出場権が付与される。石川は初戦から50位、9位、33位と成績を残してランク22位で最終戦へ。大会を40位で終えたが、ランク31位と圏外にはじき出され、本格参戦5年目にしてツアー出場権を喪失した。