全英オープンの作り方/競技委員・山中博史のロイヤルリザムレポート<5>
アーニー・エルスに全英オープン勝利をもたらしたもの
「自分にはあと4ホールあるんだという考え方に、彼(バンステファウト)は基本的に同意しました。そして、その4ホールこそ私のキャリアでもっとも大事なホールとなることにも。私は100%の力を注ぎ込もうとしました」
全英オープン最終日、72ホール目が終わってプレーオフになったとき、エルスは指導を受けているスポーツ心理学者のジョス・バンステファウトと話をして、心を落ち着けたという。そしてサドンデスまでの5ホールを全てパーでまとめ、クラレットジャグ(全英オープン優勝トロフィー)を手に入れた。
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思い返せば、今年も全英オープンは世界のトッププレーヤーたちの決戦にふさわしく、見事なプレーに満ちていた。その中から抜け出して銀のジャグを掴むのに必要なものは、何だったのだろうか。
2000年のツアー選手権の練習ラウンドで、エルスはデビッド・レッドベターからこう言われたことがあったそうだ。
「君のスイングは君が考えているほど悪くはないよ」
翌日、ツアー選手権の初日、エルスは64というスコアで首位に立った。エルスにとっては問題は「自信」だったようだ。
2000年はマスターズに始まって、メジャー3試合で連続2位だった。素晴らしい成績だが、すでに全米オープンに2度勝っていたエルスにとって、それは自信をぐらつかせることだった。そしてその年のプレジデンツカップでは0勝5敗。その過程でエルスは自信を失っていったと語っている。
自信という意味では、2001年も不安定だった。
「外見はとても落ち着いて見えるでしょうが、私の中には目標があって、それが達成できないときには気持ちが動揺し、自分自身と自分のゲームに対して少しイライラするんです。今年(2001年)の夏は自分のゲームができなくて、そういう状態でした。大きな試合のいくつかは私にとって非常に不満の残るものでした。内心は落ち着いてなんていられなかったのです。自分の中で自分と戦っていたんです」
そうした内面の葛藤に対処するため、エルスは2001年8月のオランダオープンの際にジョス・バンステファウトに指導を依頼。バンステファウトはエルスと同郷のレティーフ・グーセンを指導して、その年の全米オープン優勝に導いたことで知られるベルギーのスポーツ心理学者である。その成果はすぐに現れ始めた。9月の欧州ツアー、ヨーロピアンマスターズの3日目、68で回ったあとで、次のように言っていた。
「この1ヶ月、一緒にやってきましたが、私は彼の話を聞くのが好きです。彼はその都度、いろいろな話をし、アイディアを出してくれます。このまま、彼についていこうと思います。成果は出ると思っています」
「自分としてはプレーの仕方を変えたわけではないのです。ゴルフでは往々にしてあることなんですが、今日はボールを難しい場所に打ち込まなかったし、集中できていて、やらなければいけないことができました」
「自分のゲームが変わってきたのを感じますし、自分の心構えも変わってきたように思います。常に前向きな態度でいるということは大変なことなのです。ジョスのアドバイスは助けになります」
2001年12月の南アフリカツアー、ボーダコムプレーヤーズ選手権で、エルスは最終日に65で回り、トータル15アンダーで優勝。「トロフィーの一部分はジョス・バンステファウトのものです」とインタビューで述べていた。その試合では土曜日、日曜日とバンステファウトの指導を受けていた。
エルスはこれまで、うまくいかない時に自分を責めてしまう傾向があったようだ。2002年6月には次のように言っていた。
「たぶん、この2年あまり、私は自分に対して少し厳しすぎたんです。2年の間に、何度か良いゴルフもしましたが、メジャーでは全くふるいませんでした」
エルスに自信を取り戻させ、あるがままの自分を受け入れさせたジョス・バンステファウトの指導が、2002年の全英オープンでの勝利につながったと言えそうだ。(GW)