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5年間でPGAのトッププレーヤーに加わったJ.ケリー

ジェリー・ケリーは自分自身でうんざりしていたのだった。踵体重のままひどい姿勢から繰り出される、フラットで、低くインサイドへ回して、ぎこちなく振り上げては跳ね上げるように切り返し、すくい上げるような・・・と自ら評するスイング。あまりに不安定で、あるときジャック・ニクラスの目の前で7番アイアンを手にして80ヤードしか飛ばせなかったこともある。
「何度も壊滅的なゴルフを経験しましたよ」

自分のスイングを一から作り直す必要があることは明らかだった。祈るような気持ちだったのだろう。ウイングドフットでの1997年のPGAチャンピオンシップのとき、練習場から引き上げてきたインストラクターのリック・スミスをつかまえて、助けを求めた。スミスは言った。

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「ジェリー、よくぞ声をかけてくれたね。君のあのスイングでここまでやっているんだから、君にはよほどの才能があるよ」

その通りだったのだ。大学ではアイスホッケーの選手だった男が、いまやゴルフ界の頂点に立ったのだ。4年半という時間が必要だったことについてケリーは「物覚えが悪いんですよね」と自嘲するかのように言った。

苦労の甲斐あってケリーがつかんだソニーオープン・イン・ハワイでの勝利、そして賞金72万ドル(約9500万円)。ワイアラエCCでの4日間を66-65-65-70=266、トータル14アンダーとし、1打差でジョン・クックを退けた。携帯電話の着信音によってもたらされたツアー史上初の勝利といえるかもしれないが、ケリーにとってはツアー生活7年目の通算200試合目での初優勝。リック・スミスによる、前世紀末からのスイングづくりが実を結んだ結果としての1打差であったことは間違いない。

「この優勝の精神面での成功が、自分を次のレベルに押し上げてくれればと期待しますね」
「この次、タイガーと一緒にプレイできる日が待ち切れません」

去年はいいところまで行っていた。10位の成績がこれまで21回あるうち去年は7回。マネーランクは過去最高の35位だった。プレイヤーズ・チャンピオンシップではタイガーに2打差をつけて最終日を迎え、結果的に4位に終わっている。その後、リノタホオープンではやはり首位で最終日を迎えながら大詰めの16番ホールでトリプルを打って、1打差でジョン・クックに破れた。ソニーオープンでそのクックが迫ってきた時、ケリーはリノタホの自滅を思い出していて、繰り返したくないと願ったという。

「これは復讐なんだろうと思いますね」

ジョン・クックは冗談交じりにそう言った。確かに、ケリーは報われたと言っていいだろう。アドレスで体重は両足の母趾球にのり、股関節から前傾して背筋は伸びている。スイングはアップライトで、クラブはつねにからだの前にある。ケリーはツアーきってのボール・ストライカーの1人になったのだ。去年、彼はスタッツの各部門で上々の位置につけ、オールラウンド部門で26位となった。とくにパッティングでは13位、GIR(グリーンズ・イン・レギュレーション)で31位と見事だった。ソニーオープンにもその実力が表れGIRは3位、ドライヴィング・アキュラシー(ティショットをフェアウエイにとどめる率)は11位。

「あの日、リック・スミスに声をかけなかったら、こんな成績には近づくことさえできなかったでしょうね」

ツアー史上最悪のタイミングで鳴った携帯電話の被害者になったのも、ケリーではなくクックだった。196ヤードの17番でクックがまさにダウンスイングを始めたところでその電話は鳴った。クックはたじろぎつつも打ってしまいボールは右のバンカーへ。

「電話なのか?ノォーッ!」

クックは悲痛な叫び声をあげ、信じられないというように首を振りながらも激しい怒りのために、手にした5番アイアンをバッグに投げつけるように差し込んだ。バンカーからは1.5mに寄せたものの、そこから芝目を読み違えパーパットを右にはずしてしまった。クックはこのボギーでケリーから2打差に後退した。

「あのタイミングで鳴ったら、もうどうしようもない。たとえタイガーだってスイングを止められないでしょう。少しでもズレていればどうにかなったかもしれないのに、あのタイミングではね」

ツアーではコースで観戦中の携帯電話の使用は禁じられているが、徹底されていなかったというわけだ。20歳前後の男性だということだったが、セキュリティーはその人物を捜し当てることはできなかった?

「そのせいで負けたとは思わないですが、あの時点で、トーナメントはまさに佳境でした。私の握ったクラブは申し分なかった・・・・。どうしてあんな事が起きるんだろう。台無しになってしまいました。ツアーの政策委員会(Policy Board)の委員として3年間、いつも携帯電話の問題をどうにかしようと話してきましたが、金属探知器でも使わない限りどうしようもないでしょうかね・・・。でも、あそこにロープがはってあってよかった。私は完全に頭に来ていましたから」

いいところで何かばかげたことが起きて台無しになるという体験は、クックにとっては初めてではなかったかもしれない。1983年のツアープレイヤーズ・チャンピオンシップで優勝争いをしている時、18番ティーに向かうクックにある婦人が「その調子よ坊や。池に打ち込むんじゃないわよ」と声をかけた。結局、クックはそれをやってしまってハル・サットンに破れている。今回は冗談も言えるようではあるが・・・。

「もしもジェリーが今夜、あの若い男と食事をしてるのをみつけたら・・・、いやまてよもしかしてあのとき電話をかけたのがジェリーだったりして・・・」

ケリーの方は携帯が鳴ったことに憤慨している。

「とんでもないことだ。携帯は取り上げてしまうべきだ。話を聞いた時はまったく失望しましたよ。そんなことがあって勝ちたくはありません。クックには最高のショットを打ってもらいたかった」

44歳のジョン・クックの2日目は見事だった。62というスコアは彼自身の23年のキャリアでの最少スコアに並ぶもので、3打差をつけて首位で3日目を迎えたのだった。

ケリーはこの試合で初めてマックスフライのA10-402という新しいボールを使い、2打差をつけて首位で最終日を迎え、そしてその日の早い時間にNFLのプレイオフでグリンベイ・パッカーズが勝ち上がりを決めていたことでやる気も増していた。勝利を決めた重大な局面は14番ホールでの2メートル弱のパーパットと15番での4メートル弱のパーパットだった。その成功によって1打差を維持できたのである。

「あの2つは大きかった。15番のパットは人生で一番大きなパットでしょう」

ケリーは17番では18メートルから3パット。2メートル弱のパーパットが今度はリップアウトしてボギーにしてしまう。しかし、ケリーは先にクックがバーディとした551ヤードの18番でバーディをとって決着したのだった。2組前でクックが先に2メートル弱を沈めてその時点で首位に並ぶ。ケリーは14メートル弱から45センチに寄せて、今度は2パットであがった。タップインする時にはかつてボビー・ジョーンズが語ったネガティブなコメントが頭の中に浮かんだという。

「たとえ1インチのパットでも、ダフったりミスしたりするのではないかと心配だった、ってジョーンズが言っていたことを思い出していました。そういうメンタルなことに、私はこれまで取り組んできたんです」

ケリーの心配はもう一つあった。オフの間に引越をしたことで、腕が鈍っているのではないかということだ。フロリダのホーブサウンドで暮らしていたのだが、4月には出身地であるウィスコンシン州マディソンに戻ることになっている。このオフはビデオを見たり室内のネットに向かってボールを打ったりして調整してきたが「寒さを逃れてフロリダにいるおかげで勝てたんでしょうね」とケリーは言う。

すでに引越をしたわけは、最初の家にあまりにたくさんのヘビとファイアーアント(フシアリ)がいたからだ。2日間で3匹のヘビを見つけ、うち1匹は小型のガラガラヘビだったという。

「動物愛護協会には申し訳ないけど、シャベルで何回かスイングして2匹は殺してしまいました。空振りもありましたけどね」

まだウィスコンシンに落ち着けるようにはなっていない。これまでのところフロリダで2つの家を転々としている。最初に移った家は相当古くて、いまは取り壊されてしまった。4月からは家具は倉庫に預けて、マディソンでアパート暮らしをして、その後すぐ貸家に移る。いま建てている家には11月入居予定。3年弱の間に、6回住所が変わることになるというわけだ。

「ホームレスなんですよ」
そう言うジェリー・ケリーだが、もはやウインレスではない。(GW)

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