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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

やがて訪れる終着駅 レジェンドに花道を/ゴルフ昔ばなし

尾崎将司選手、青木功選手がけん引してきた20世紀の日本のプロゴルフシーン。それぞれが頂点を極めようと自らを磨き続けたストーリーは、後世に残すべきものです。時代をともにしてきたゴルフライターの三田村昌鳳氏と写真家・宮本卓氏による対談連載は、8回にわたってお送りしてきた“AOシリーズ”を、日本ゴルフ界への提言で締めくくります。

■ 近づく終着駅…負けん気の強さは今も同じ

―現在75歳の青木選手は今年、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長に就任して3年目のシーズンを迎えました。一方の尾崎選手は1月に71歳の誕生日を迎え、現役続行の意思を示しました。

三田村 青木さんの言葉で一番印象に残っているものがあります。数年前のインタビューで「青木さんはなぜゴルフがそこまで好きで、ずっと続けているのか?」と聞いたとき、コーヒーを飲みながら言ったんだ。「オレは好奇心の塊だから。ゴルフという電車に乗ったんだから、最後まで途中下車したくない」と。普段は「てめえ」「コノヤロー」が口癖のような人だったからね。こんな文才があったのか…と驚いた。
宮本 本当にすばらしい例えで…実は私も使わせていただいています(笑)。ただ、青木さんにしてみれば、本当のその終着駅が、ゴルファーとしての最後が近づいている。今年、60歳になった僕に青木さんは「お前の還暦祝いをしてやる」とワインをくださった。一緒にゴルフをしようとお誘いいただいたが、青木さんは結局、体力的な問題でキャンセルせざるを得なくなった。「本当にクラブを振れない。いつ最後になってもおかしくない」と言う。クラブを振れないことがあの人にとっては一番のストレスなんだ。
三田村 ジャンボは「年を取るとクラブを振る前までの準備が本当に大変」と言っていた。それが難しく、クラブを振れないのはプレーヤーにとって一番つらいことだと思う。
宮本 ハートは変わっていないんだ。プロたちの夫人が集まる「ワイブズ(wives)」という会があって、昨年末にチャリティのボウリング大会があった。その日ばかりは男子プロの役目は奥様方の運転手。でも、そのうちね、ボウリング場でみんなウズウズしてくるの。青木さんも、倉本昌弘さんも、尾崎直道さんも…。参加していた(女子プロの)岡本綾子がついには「あの人たち、やりたいんじゃないの? 2、3球は投げさせてあげないと収まりがつかなくなるわよ」って。青木さんなんか肩が痛いのにさ、最終的にはみんな本気になっちゃって。
三田村 いつまでたっても、みんな負けず嫌いなんだよなあ。

■ 松山英樹のリスペクト

―両者はともに70歳を超えたいまも、レギュラーツアーに現役選手として出場する機会があります。多く若い選手からリスペクトを受ける中、昨年の国内ツアー「ダンロップフェニックス」では、尾崎選手が米ツアーで活躍する松山英樹選手のリクエストにより、2日間同組でプレー。松山選手は「昔争っていたジャック・ニクラスアーノルド・パーマーと比べて、(自分が)どうなのかなっていうことを聞きたかった」と理由を説明しました。

三田村 松山はすでに米ツアーでの実績は歴代の日本人としてナンバーワン。ただ、それでも彼らの話を聞きたいと思うときがある。AONは何度か海外メジャーで優勝争いをした。ジャンボは超スランプの時であっても、自分の位置を確認したいと考え、アメリカに行った。日本では勝てても、アメリカでは勝てなかった。「埋められないもの」は何なのか? その確認をいつもしていたように思う。松山にとって「なぜ、メジャーで勝てないか?」というクエスチョンは、誰にも聞きようがない“未知の世界”。今、一番悶々とする時期に差し掛かっている。それが技術的なミリ単位の差か、メンタル面の問題か、あるいは体力的なものなのか…。そういうものを、尾崎も追い求めた。日本で時代を築いたAONにとっても、アメリカは「1位と2位の差」を感じられる場所だった。
宮本 ジャンボ尾崎が日本のレギュラーツアーでプレーを続けていることには賛否両論がある。ただ、10代、20代の選手と70歳を超えた人が同じフィールドで戦えるスポーツは、ほかにない。これはゴルフの特殊性のひとつ。多くの人が「シニアに行った方がいい」と言うが、彼はレギュラーにこだわる。それで、喜ぶ人もいる。2年前の「三井住友VISA太平洋マスターズ」のとき、松山が満員になっていた練習場でウロウロしていたことがあった。そこに「ここで打つか?」って声をかけたのがジャンボさん。実はクラブハウスで、松山はロッカーがジャンボの隣だったんだけど、怖くて声をかけられなかったそうなんだ。せっかくだから一緒に写真を撮ったんだけど、ジャンボは「オレの方が男前だな」って大勢のギャラリーを沸かせて…。ふたりとも本当にうれしそうだった。松山にとっては、ジャンボから学ぶ技術はもうないかもしれない。でも“そのほかの何か”がレジェンドにはあると思える。ジャンボさんがレギュラーツアーにいるという面白さは何か。メジャーで勝ちたい松山にとってのパズルの“最後の1ピース”は彼らが持っているかもしれないよ。

■ 日本ゴルフはレジェンドに花道を作れるか

三田村 尾崎であれば、プロ入り後100勝以上した選手。どういうエンディングを迎えるのか、というのは日本のゴルフの今後を考えても非常に興味がある。米ツアーだと、レジェンドに対するリスペクトを強くして、彼らを送り出す。「マスターズ」での名誉スタート、アーノルド・パーマーへの追悼…そういう演出がすごくうまい。青木にしても、ジャンボにしても、「日本オープン」や「ダンロップフェニックス」でセレモニーみたいなものができたら…。雰囲気は出るんじゃないかなと思う。
宮本 ゴルフ界全体がちゃんと花道を作ってあげないといけない松山も、石川遼池田勇太も年を取って、いずれはクラブを置く時が来る。AOであっても、何もされずにこのまま消えていったら、若い彼らはどうしたらいい? 何をゴールにすればいい? 残るものがお金だけでは悲しい。彼らはギャンブラーじゃない。プロゴルファーなんだ。レジェンドへのリスペクトを踏襲していくことを考えてほしい。ゴルフメディアも最近はレッスンが主体になって、ツアープレーヤーの人物像をクローズアップする機会が少なくなっているように思う。
三田村 読者や視聴者に、戦っている選手の“人間臭さ”に興味を持たせてほしい。選手はそれぞれに“ゴルフ感”がある。ジャンボは「日本オープン」で70cmのパットを打つのに2回、仕切り直しをした。彼が抱えていた思いや背景を知っていれば、ひとつひとつの動作への見方が変わる。歴史に残る選手にはそれなりにみなドラマがあって、一般の人とは違う人間味がある。そういうところを掘り下げる力が、いまのゴルフマスコミには欠落しているんじゃないだろうか。

「ゴルフ昔ばなし」は次回から4月のメジャー初戦「マスターズ」を特集します。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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