藤田寛之、イーグル決まらず1打差3位
ツアープレーヤーたちの決意<矢野東>
先週のJCBクラシック仙台最終日は、勝負を決めた18番ホールで男泣き!! …と言っても、初優勝をあげた神山隆志のことではありません。終始、笑顔だった神山になりかわり、嬉し涙に思わず目頭を押さえたのは、まだツアー未勝利の矢野東でした。
日大の先輩・神山とは大学卒業後からの付き合い。試合に出られないときから一緒にアメリカに渡って腕を磨くなど修行を積み、3年前には共に肉体改造に着手。互いに励ましあって、ハードなトレーニングに取り組んできた2人でしたが、2002年、矢野が一足お先に初シード入り。対してその年、ツアーの出場権さえ手に入れることができなかった神山が、「あと3年やってダメだったら、プロの道はあきらめる」と、自らに厳しいノルマを課していたことを、矢野は知っていたのです。
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そろそろ、飽きてきちゃったなあ・・・今度は僕がお祝いされる立場にならないとね!
面倒見の良いその人柄にほれ込んで、普段から「アニキ」と呼び、神山を慕ってきた矢野は、先輩のこの3年間の努力の過程を間近で見てきました。だからこそ、まさに節目の“3年目”となる今年、ついに悲願の初優勝をあげた神山の喜びがまるで我がことのように胸に迫ってきて、ついグリーンサイドで涙してしまったのでした。
神山が、中嶋常幸、近藤智弘とのプレーオフを制した18番グリーンには、矢野はもちろん、日大同期の横尾要や日体荏原高時代の先輩・立山光広や川原希、そのほか平塚哲二や小山内護、菊池純、増田伸洋など、実に大勢の選手たちが、大ギャラリーの波をかきわけて、続々とお祝いにかけつけました。
その中でもとりわけ張り切って胴上げ、ビールかけと手荒い祝福の先導にたち、その場を取り仕切っていた矢野は、ひとしきりそれら“行事”が終わったあとふとわれに返ってポツリ。「…そろそろ、飽きてきちゃったなあ…」。
というのも昨年の10月には川原希がツアー初優勝。続いて12月には平塚哲二が、さらに今年に入ってつい1週前には再び平塚がツアー2勝目。練習仲間が優勝をあげるたび、率先して祝福の輪に加わってきたのですが、もうそろそろ、自分自身が“主役”になってもいいころです。
「人のお祝いする側ばっかりじゃなくて、今度は僕がお祝いされる立場にならないとね!!」。敬愛する先輩の優勝シーンに大いに刺激を受けて、自らのツアー初Vを心に誓った矢野でした。
トーナメントで起こったルール裁定の実例
<三菱ダイヤモンドカップ>
「あの球は、私のです!」
1日目、7番(パー5)、サードショットの30ヤードほどのロブショットは松の木にのってしまった。
その一部始終を見ていた競技委員は木の上にのった球を双眼鏡でプレーヤーの球と確認は出来なかったが、プレーヤーの球と判断するのが妥当とし、その球の真下でアンプレヤブル(規則28-C)によりホールに近づかない2クラブレングス以内に1ぺナルティでドロップすることを認めた。
読者の皆さん、競技委員に限らずコース従業員でも確証となる証言であれば認められますが、それ以外のときは自分の球かどうか確認できないと紛失球の扱いとなります。
林間コースでのプレーでは十分ご注意を?