池田勇太が“日本一” 自画自賛?の逃げ切り優勝
2014年 日本オープンゴルフ選手権競技
期間:10/16〜10/19 場所:千葉カントリークラブ 梅郷コース(千葉)
池田勇太 耐えに耐えてメジャー制覇 現役会長22年ぶりV
千葉県の千葉カントリークラブ梅郷コースで開催された国内男子メジャー「日本オープン選手権競技」。池田勇太が2014年の“ゴルファー日本一”の称号を手に入れた。2バーディ、2ボギー、1ダブルボギーの「72」(パー70)とスコアを落としたが、前日からの単独首位の座を守りきり、今季初勝利、ツアー通算12勝目を飾った。
メジャーのサンデーバックナインは、我慢の連続だった。第2打をピンそば50cmにつけた11番、花道からチップインさせた12番で2連続バーディを決め、同じ最終組を回った片山晋呉に4打差をつけた池田。試練はそこからだった。
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最難関の14番でボギーを叩くと、16番(パー3)ではティショットを奥のバンカーへ。左足下がりのライからはピン方向を狙えず、ボールはグリーンエッジとラフの境目まで転がり、3打目のアプローチもオーバーさせて痛いダブルボギーを叩いた。
しかし片山に1打差に迫られて迎えた上がり2ホール。「ダボを叩いても冷静に判断できた」という。いずれもパーオンに成功して2パットパーをセーブ。「(前日までの)3日間、いい感じで回れていた。耐えなければいけない日が1日はある中、それが今日になったんだと思う」。通算27勝の名手の追い上げに動じず、18番グリーンで歓喜の時を迎えた。
2009年の国内メジャー「日本プロ選手権 日清カップ」でツアー初勝利。「初優勝がメジャーだったから、あまりメジャーで優勝をしたいという感じは、これまでなんとなくなかった。でもいまはメジャーで勝つとこういう気持ちになるんだと思える」。昨シーズンから日本ゴルフツアー機構選手会の現役選手会長。2足のわらじを履いてメジャーを制したのは1992年「日本プロ選手権」を制した倉本昌弘以来2人目となった。
また、6シーズン連続でツアー優勝を達成したことになる。継続中の記録としては最も長い(最長は1986年~2000年の尾崎将司の15季連続)。
最終ラウンドのプレーの合間にも笑顔を見せ、満面の笑みで賜杯を掲げた。涙を必死にこらえ、言葉に詰まったのは優勝インタビューの時だけ。「1か月くらい前、(福田央)キャディが『日本オープンで勝ちたい』って酒の席で言って…」。プロ転向直後からの相棒との苦労を思い浮かべると、熱いものがこみ上げた。
次週は自身が“メジャー”と位置付ける「ブリヂストンオープン」。その翌週は連覇がかかる「マイナビABCチャンピオンシップ」となる。賞金ランキングは4位に浮上。名実ともに日本ツアーのナンバーワン選手にステップアップする日が近づいている。(千葉県野田市/桂川洋一)
米国PGAツアーを主戦場とするアダム・スコットが、毎週の試合で着用するウエアのコーディネートは、東京・六本木の同社オフィスから発信される。商品開発、デザイナー、マーチャンダイザーに至る少数精鋭のスタッフが、数ある商品の中からポロシャツ、パンツ(ボトムス)、ベルトの組み合わせに知恵を出し合っている。試合の2週前に海を渡る段ボール箱の中には、本戦4日間のほかトーナメント前の練習日、プロアマ戦を含む全部で6日分、そしてシーズンオススメのウエアを加えたアイテムの数々がぎっしり。プライベートの時間でも愛用している薄手のインナー、エアリズム(AIRism)も絶対に欠かせない。
同社のモデルは、ゴルフ場を離れても気軽に着用できるLifeWearだ。スコットとの共同開発で世に出たドライストレッチパンツは、コースで戦う上での機能性が普段の生活の場に大いに還元されたもの。彼の要望として取り入れられた高い伸縮性、速乾性や軽量感は、カジュアル、ビジネス等のシーンを問わず重宝されている。スタイリングにおいても、ファッションデザイナーの滝沢直己氏の監修のもと、レディ-・ガガのスタイリングをも手がけたニコラ・フォルミケッティ氏がプロジェクトに参加。ビッグネームの協力も得て、両者の融合を追究している。
ちなみにスコットお気に入りのカラーリングは、シャツとパンツを同色で統一するスタイル。黒、ネイビーの単色コーディネートの日は、一層気合が入っているのかも?
「ジェントルマン」はアダム・スコットを表現する言葉として、最も的を射ているフレーズだ。直接折衝を担当するユニクロ・グローバルコミュニケーション部の蓑輪光浩氏は、かつて某スポーツメーカーで多くのプレーヤーと仕事をしてきた経験があるが「サインを求めて『My pleasure(こちらこそありがとう!)』と答えてくれた選手は初めてでした」と言う。プロ車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾をはじめ、錦織圭、ノバク・ジョコビッチといったトップテニス選手のウエア開発にも携わってきた商品本部の田中敏氏が驚いたのは「ジョコビッチ選手と同じく勝ちにはこだわりつつも、テニス以上に自然が結果を左右することがあるゴルフと言うスポーツの特性も受け入れる懐の深さを感じる」という、その穏やかな人間性だった。
雄大な南太平洋を望むゴールドコーストで育ったスコットは、ゴルフ、そして海とともに自身の成長を育んできた。大のサーフィン好きが選んだバハマの自宅は、目と鼻の先にビーチがあり、素潜りでモリを持って獲物を捕らえるスピアフィッシングにも興じる。ところで、スコットは学生時代に日本語の授業を選択していた時期があり、ひらがななら多少理解できる。米国で戦う日本の松山英樹や石川遼のよき兄貴分としての振る舞いも、自然と納得がいくものだ。
今年9月初旬。ユニクロのスタッフのもとに米国で転戦中のアダム・スコットからメールが届いた。「Big Day for UNIQLO!」―― 日本のスポーツ界が震撼したテニス全米オープン。錦織圭が快進撃を続け、ともにユニクロと契約するノバク・ジョコビッチと準決勝を戦う直前のことだった。マスターズチャンピオンも日本のファンと同じように、ニューヨークに熱く視線を注いでいたのである。
それもそのはず、スコットとテニスとの間には切っても切れない縁があった。同じオーストラリア出身で、4大大会通算2勝のレイトン・ヒューイットとは1歳違いで大の仲良しで、どちらもバハマに家があり、オフにはトレーニングを一緒にすることもある。さらにスコットの現在のマネージャーは、かつてヒューイットのサポートをしていたという間柄。もちろん自らもラケットを手に取り、汗を流す。
ジョコビッチとは昨年、ニューヨークで対面し、ドライバーをプレゼントしたスコット。錦織選手も10代の頃からフロリダIMGアカデミーで育ち、女子プロゴルファーの宮里美香と親交があり、ゴルフは趣味のひとつだとか。日本のファンとしては今後、トップアスリート同士の異色のコラボも期待してしまう。
2013年「マスターズ」。アダム・スコットは、オーガスタの雨が染み込んだユニクロのポロシャツの上にグリーンジャケットを羽織った。開幕直前に契約が発表され、これ以上ない形の“デビュー戦”を喜んだ同社スタッフは「ゴルフ界に大きな声で“Say Hello”が言えたことが大きかった。スポーツメーカーでない我が社の内部においても、すぐに協力体制ができた」と話す。ポロシャツは優勝前の実績を大幅に上回る数が売れ、ベルトは全国で品切れになった。
ゴルフ部門への進出はユニクロの哲学「MADE FOR ALL」に立ち返るものだった。世代や性別を超えた“国民服”をプロデュースする同社が、老若男女がプレーできるゴルフ産業に足を踏み入れたのは自然な流れ。ともすればビジネスの場にも似つかわしいLifeWearが好まれるゴルフは、コート内における高い機能性に特化したテニスとはアプローチの方法が異なったが、それこそがスコットが求めたものだった。
あらゆるスポーツにおいて、契約メーカーに自身の特別ブランドや、一般市場には出回らないモデル提供を求めるプレーヤーは多い。だが彼は違う。誰もがリーズナブルに手にできるウエアを軽快に着こなし、世界最高のツアーで戦っている事実がある。そして、スコットは大きなビジョンを持って言う。「2万円もする高い服を着てプレーするゴルファーは本当に幸せだろうか?そんな世界を、ユニクロとなら一緒に変えられる」と。スコットとユニクロの二人三脚での歩みは、まだ始まったばかりだ。