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あのときの涙、いまの笑顔 塚田陽亮の米ツアー初挑戦はブービー

14歳のとき、塚田陽亮がフロリダのIMGアカデミーに留学するため、米国で最初に降り立ったのはシカゴの国際空港だった。長野の実家、群馬の中学を飛び出し、異国の地で腕を磨くという揺るぎない決意。だがその単身の旅は、目的地に着く前から試練となった。

日本からの飛行機を乗り継ぐ際、空港内のターミナル間の移動ができず迷子になった。当時は英会話がまったくできず、猛烈な孤独感に襲われた。そして、ひとり泣いた。

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乗り継ぎ便が出発するわずか30分前、途方に暮れていたところを、見知らぬ日本人が助けてくれた。後にその話を電話で伝え聞いたとき、母・恵子さんは「本当に行かせてよかったのか…」と、遠く日本で愛息の身を案じたそうだ。

時は流れ、今年6月の「日本ツアー選手権 森ビル杯」でツアー初勝利を飾り、前週「WGCブリヂストン招待」に出場した。数年前にハワイには出向いたが、米国本土を訪れるのは実に高校卒業以来だった。「プロになって初めてくらい、ワクワク、ドキドキが止まらなかった」。開催コースのあるオハイオ州に入るため、乗り継いだ空港は、あの時と同じシカゴ。当時とはまったく異なる表情の自分がいた。

予選落ちのない4日間大会で通算24オーバー。成績の悪い順に2サムでスタートする週末は両日、最初の組だった。出場した61人のうち3人が棄権し、最終日を終えて58人中57位。4ラウンドいずれもオーバーパーで、初めての米ツアーは“ブービー”に終わった。

ただそこに、収穫がないはずがない。初日、2日目とツアー屈指の飛ばし屋であるJ.B.ホームズらとプレーし、その飛距離に目をむいた。「日本では何度もセカンドオナーになることってあまり経験したことがない。(ホームズは)最終ホールなんて390yd飛ばしちゃうんだから」。グリーン上、周辺のラフは日本とも、かつて慣れ親しんだフロリダとも違った。

他方、愛嬌と愛想の良さは、日本で戦うときと同じだった。塚田はプレーしている間、こどもに、いつでもサインが出来るようにポケットにはサインペンをしのばせている。3日目に18番グリーンを降りたあと、すぐさまスコア提出所に走っていった。ロープの外にいた外国人の子どもにサイン入りのグローブを手渡すためだった。

印象的だったのは、どんなにミスが出ようと、自分への怒りをなんとか抑え込み、笑顔を作る姿だった。「こっちにいたとき(中高時代)は、1ラウンドで3本クラブを折ったことがあった。アメリカの選手に影響されて…」という。アマチュア時代には怒りに任せてSWでスパイクを叩こうとして、くるぶしを強打したこともある。その感情がマイナスに爆発することで、貴重な経験がそうでなくなることを学習してきた。

「笑ってますけど、内心は笑ってないです。でも、イライラしてプレーするのって、本当にもったいない。一日を捨てるようなものだから」。31歳でつかんだプロ初勝利によって出場した世界トップの舞台だった。「僕は試合に出たくても出られなかった人間」と自らの立場を再認識し、謙虚に語った。

今週は、一時帰国した日本で「日本プロゴルフ選手権 日清カップヌードル杯」に出場。次週は「全英オープン」に出場する。今度は初めて立つメジャーの舞台だ。体力的にも厳しいスケジュールが待ち受けているが、ファイヤーストーンCCを離れるとき、塚田は「ホントにまたここに来たい」と言った。

「これからどうアクションを起こすかが大事。願うだけじゃ出られない。今後、自分のゴルフの取り組みも変わってくる」。“3度目”の米国本土上陸のときは、その顔に何を浮かべているだろうか。(オハイオ州アクロン/桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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