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マスターズ
期間:04/09~04/12  場所: オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

ベン・クレンショーがマスターズに涙の別れ

クレンショーとジャクソン氏の名コンビも見納め。パトロンからは多くの惜別の声が飛んだ(Andrew Redington/Getty Images)

最後に抱き合ったのは生涯の友だった。米ツアー通算19勝(メジャー2勝)のベン・クレンショーが「マスターズ」に別れを告げた。2015年のメジャー初戦。今年を最後の大会出場とすることを表明していた63歳の名手は、2日間で通算32オーバー、最下位で予選落ちを喫した。

44度目の出場となったマスターズ。慣れ親しんだはずのオーガスタナショナルGCの18番グリーンは違って見えた。幾重にも連なったパトロンたちがスタンディングオベーションで迎えてくれた。「まるで優勝したみたいだね」。見守った家族はみな、目にも光るものを浮かべていた。

パッティングの名手として知られたクレンショーは、1984年にマスターズ初優勝。2度目の優勝を遂げた95年大会は今も語り継がれる名場面のひとつだ。試合の1週間前、少年時代から二人三脚で歩んできた師匠のハービー・ペニックが死去。葬儀を終え、悲しみを持ち込んで戦ったオーガスタで、クレンショーは勝った。最終18番、80㎝のパットを沈めたその場でお馴染みのL字パターをグリーンに離し、両手で顔を覆い涙した。

さらにオーガスタの歴史に刻んだのは“名コンビ”のエピソード。マスターズはその昔、選手のキャディを務めるのはオーガスタナショナルGCの所属キャディと決められていた。しかしこのルールが撤廃され、ほとんどの選手が帯同キャディを起用し始めた後も、クレンショーはコースを知り尽くす、同クラブ所属のカール・ジャクソン氏を指名した。

「これほど易しい決断はなかったんだがね。1976年に初めてコンビを組んだけれど、立ち振る舞いやコミュニケーションの取り方、コースへの知識の素晴らしさは信じられないほどだった。これがベストな選択。ただそれだけだった。何年も彼の言うことを理解しようとして、いいチームになった。そして生涯の友人ができた」

ジャクソン氏は幼い頃に家計を助けるために学校をやめてキャディとなり、14歳で初めてマスターズで他選手のバッグを担いだ。2000年に大腸がんと診断され、死をも覚悟したというが、命をつなぎとめた先進医療の手術費用を負担したのは、クレンショーだった。

この日の朝、ロープの外を歩いていたジャクソン氏は、18番でクレンショーを出迎えた。そう、緑のキャップをかぶり、白いツナギを着て。力強く抱き合った2人は互いに「アイラブユー」と言葉を交わし、涙した。「もうあとは言葉にならなかったんだ」

レジェンドがまたひとり、オーガスタを去った。しかし残された伝説を受け継いでいく若者はきっといる。

開幕前日、クレンショーはオーガスタでの最後の練習ラウンドを、タイガー・ウッズジョーダン・スピースと行った。スピースは同じテキサスの出身で、特別目をかけている存在だ。

初日からトップを快走し、後続に5打差以上を付けて決勝ラウンドに臨むスピース。初日に単独首位発進を切った選手が優勝したケースは、1984年のクレンショー(2008年覇者のトレバー・イメルマンは初日を終えて“首位タイ”)を最後に、30年来事例がない。(ジョージア州オーガスタ/桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち)
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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