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ゴルファー日本一の称号を得た池田勇太 海外進出はいつ?

千葉カントリークラブ梅郷コースで開催された国内男子メジャー第3戦「日本オープン選手権競技」を制した池田勇太。2009年のメジャー「日本プロ選手権 日清カップ」でツアー初勝利を挙げ、キャリアにおいて6年連続の優勝をメジャーの舞台で飾った。

輝かしいアマチュアタイトルを引っさげ、07年末のプロ転向後に積み上げた勝利数はこれで12。生涯獲得賞金は6億円を超えた。国を代表するゴルファーであることは実績が証明している。だからこそ期待されるのが主戦場のステップアップだが、池田は米ツアーを中心とした海外進出について、まだ“準備段階”だと強調する。

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「レギュラーツアーに出始めたころ、09年当初を思い返すと、周りを見向きもせずに2年で8勝(09年、10年に4勝ずつ)した。海外メジャーにも行って、これが当たり前だという感じでいた」。10年にはメジャー全4戦に出場。初参戦の「マスターズ」を堂々の29位で終えるなどしたが、参戦に踏み切れない理由はその後の苦悩によるものだという。

「11年以降勝てなくなって、メジャーに行けなくなって今がある。(海外での試合を)1回経験して、こういう舞台があって、こういうところでやりたいという心をくすぐられた。でもそこに行くためには、日本でまだ頑張れていない自分がある」

09年に日本ツアーの2枚看板として賞金王の座を争った石川遼が海を渡り、昨年は東北福祉大の後輩である松山英樹が米ツアーデビューから早々に初勝利を飾った。一つ一つの技術をみれば、彼らに負ける気はない。

ただ一つ、池田がこだわるのは日本での確固たる地位だ。「日本で“強い池田勇太”を作ってから行きたい。今回『ナショナルオープン勝ったから行きましょう』じゃないんだ。(09、10年)当時みたいに2勝、3勝…として賞金王獲って、“鳴り物入り”で行かないと面白くないよ。オレはそこだと思う。オレはそれをもう一度狙ってる」

「来年(12月)、もう30だ」と言う一方で、「まだ30歳」という見方ができるのがプロゴルファーでもある。「野球なんかも下積みがある。そういう生き方が正しいんじゃないかなって。尻つぼみになるのは、カッコよくない。40で行ったっていい。自分がそこまで技量と精神的な強さをくっつけて、日本から出ていくのもアリだと思うし」

まだ賞金王も獲っていない、他を圧倒する力を蓄えられていない。強気な発言ばかりがクローズアップされる裏で、最も謙虚に自分を見つめているのは池田本人かもしれない。

日本オープン覇者には翌年の「全英オープン」の出場権が付与される。2015年の舞台はゴルフの聖地。「また来年、セントアンドリュースかぁ。1回行ったから、他のところ行きたいなあ」。そんな挑戦の熱が沸点まで到達する瞬間も、ファンは待っている。(千葉県野田市/桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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2014年 日本オープンゴルフ選手権競技

アダム・スコット米国PGAツアーを主戦場とするアダム・スコットが、毎週の試合で着用するウエアのコーディネートは、東京・六本木の同社オフィスから発信される。商品開発、デザイナー、マーチャンダイザーに至る少数精鋭のスタッフが、数ある商品の中からポロシャツ、パンツ(ボトムス)、ベルトの組み合わせに知恵を出し合っている。試合の2週前に海を渡る段ボール箱の中には、本戦4日間のほかトーナメント前の練習日、プロアマ戦を含む全部で6日分、そしてシーズンオススメのウエアを加えたアイテムの数々がぎっしり。プライベートの時間でも愛用している薄手のインナー、エアリズム(AIRism)も絶対に欠かせない。
同社のモデルは、ゴルフ場を離れても気軽に着用できるLifeWearだ。スコットとの共同開発で世に出たドライストレッチパンツは、コースで戦う上での機能性が普段の生活の場に大いに還元されたもの。彼の要望として取り入れられた高い伸縮性、速乾性や軽量感は、カジュアル、ビジネス等のシーンを問わず重宝されている。スタイリングにおいても、ファッションデザイナーの滝沢直己氏の監修のもと、レディ-・ガガのスタイリングをも手がけたニコラ・フォルミケッティ氏がプロジェクトに参加。ビッグネームの協力も得て、両者の融合を追究している。
ちなみにスコットお気に入りのカラーリングは、シャツとパンツを同色で統一するスタイル。黒、ネイビーの単色コーディネートの日は、一層気合が入っているのかも?

アダム・スコット「ジェントルマン」はアダム・スコットを表現する言葉として、最も的を射ているフレーズだ。直接折衝を担当するユニクロ・グローバルコミュニケーション部の蓑輪光浩氏は、かつて某スポーツメーカーで多くのプレーヤーと仕事をしてきた経験があるが「サインを求めて『My pleasure(こちらこそありがとう!)』と答えてくれた選手は初めてでした」と言う。プロ車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾をはじめ、錦織圭、ノバク・ジョコビッチといったトップテニス選手のウエア開発にも携わってきた商品本部の田中敏氏が驚いたのは「ジョコビッチ選手と同じく勝ちにはこだわりつつも、テニス以上に自然が結果を左右することがあるゴルフと言うスポーツの特性も受け入れる懐の深さを感じる」という、その穏やかな人間性だった。
雄大な南太平洋を望むゴールドコーストで育ったスコットは、ゴルフ、そして海とともに自身の成長を育んできた。大のサーフィン好きが選んだバハマの自宅は、目と鼻の先にビーチがあり、素潜りでモリを持って獲物を捕らえるスピアフィッシングにも興じる。ところで、スコットは学生時代に日本語の授業を選択していた時期があり、ひらがななら多少理解できる。米国で戦う日本の松山英樹や石川遼のよき兄貴分としての振る舞いも、自然と納得がいくものだ。

アダム・スコット今年9月初旬。ユニクロのスタッフのもとに米国で転戦中のアダム・スコットからメールが届いた。「Big Day for UNIQLO!」―― 日本のスポーツ界が震撼したテニス全米オープン。錦織圭が快進撃を続け、ともにユニクロと契約するノバク・ジョコビッチと準決勝を戦う直前のことだった。マスターズチャンピオンも日本のファンと同じように、ニューヨークに熱く視線を注いでいたのである。
それもそのはず、スコットとテニスとの間には切っても切れない縁があった。同じオーストラリア出身で、4大大会通算2勝のレイトン・ヒューイットとは1歳違いで大の仲良しで、どちらもバハマに家があり、オフにはトレーニングを一緒にすることもある。さらにスコットの現在のマネージャーは、かつてヒューイットのサポートをしていたという間柄。もちろん自らもラケットを手に取り、汗を流す。
ジョコビッチとは昨年、ニューヨークで対面し、ドライバーをプレゼントしたスコット。錦織選手も10代の頃からフロリダIMGアカデミーで育ち、女子プロゴルファーの宮里美香と親交があり、ゴルフは趣味のひとつだとか。日本のファンとしては今後、トップアスリート同士の異色のコラボも期待してしまう。

アダム・スコット2013年「マスターズ」。アダム・スコットは、オーガスタの雨が染み込んだユニクロのポロシャツの上にグリーンジャケットを羽織った。開幕直前に契約が発表され、これ以上ない形の“デビュー戦”を喜んだ同社スタッフは「ゴルフ界に大きな声で“Say Hello”が言えたことが大きかった。スポーツメーカーでない我が社の内部においても、すぐに協力体制ができた」と話す。ポロシャツは優勝前の実績を大幅に上回る数が売れ、ベルトは全国で品切れになった。
ゴルフ部門への進出はユニクロの哲学「MADE FOR ALL」に立ち返るものだった。世代や性別を超えた“国民服”をプロデュースする同社が、老若男女がプレーできるゴルフ産業に足を踏み入れたのは自然な流れ。ともすればビジネスの場にも似つかわしいLifeWearが好まれるゴルフは、コート内における高い機能性に特化したテニスとはアプローチの方法が異なったが、それこそがスコットが求めたものだった。
あらゆるスポーツにおいて、契約メーカーに自身の特別ブランドや、一般市場には出回らないモデル提供を求めるプレーヤーは多い。だが彼は違う。誰もがリーズナブルに手にできるウエアを軽快に着こなし、世界最高のツアーで戦っている事実がある。そして、スコットは大きなビジョンを持って言う。「2万円もする高い服を着てプレーするゴルファーは本当に幸せだろうか?そんな世界を、ユニクロとなら一緒に変えられる」と。スコットとユニクロの二人三脚での歩みは、まだ始まったばかりだ。



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